I Don't Want To Spoil The Party

イルミネーションがきれいで、近所の、なんでもない夜道を歩くだけでも、無性にうれしい(*^-^*)


もう時効だろうからいってしまうけど、一昨年は街が華やかに彩られていけばいくほどに、なんともいえない虚しさが募った。


大事なひとを亡くしてみると、「喪中」の効果っていうか、「喪中の方には年賀状送らない」とか、そういうことがなぜこんなに根付いてるのかみたいなこと、ひしひし実感できる気がする。


空席を抱えた心には、まぶしすぎるよね。お正月の喧騒。


彩られた街や、楽しそうに行き交うひとたちや、、、そういうのが膜の向こうの別世界のことみたいで。

離人症、とかっていうと、なんかものすごく特別なことみたいに聞こえちゃうけど。多くのひとが、急にはお正月のキラキラについていけないから、「喪中」みたいな仕組みが市民権を得てきたんじゃないのかなあ?


で、なんとなく複雑な気持ちで、彩られていく街をながめていたんだけど……

あるとき、尊敬している方の文章を読む機会があって。


とても遠くの”先”が、しっかり見据えられていたんだよね。

きちんと、”支障となる”感傷が排されていて。

とても理知的で、論理的で、至極説明的文章だったのに、なんだか、じんとしてしまった。


ひとが立ち直るためには、しばしばたくさんのお金、そして機会が要る。


社会全体の流れをみて、目先の感傷に流されることなく、長い目でみて、全体の”益”を最大化(最適化、のほうが近いかな)する……

状況によっては、哀しみや虚しさを内に秘めてでも、場を盛り上げていく……

見方によっては”非情”と映るかもしれない、そんな行動が、長い目でみれば、かかわるすべてのひとに益をもたらす……

その冴えた目線に、うつくしさすら感じた。


普段から、その方の発言等を拝見していて、そのことばに血が通っていることは、わたしにも、確かに、わかる。

感傷やドラマティックさなどまったくない文章にも、しっかりと、あたたかさを感じる。


そんなこんなで……

”盛り上がる必要性”を自分なりに理解して、ときには盛り上がろうと頑張ってみたりもするわけだけど…


ただ、そこからこぼれて溜まっていく虚しさも、現にあるわけで……

どうしても、あるわけで……


ビートルズに「I Don't Want To Spoil The Party」(邦題だと、「パーティはそのままに」?)っていう曲があって、すごく好き。

Lennon-McCartney名義だけど、メインでかいてるのは、おそらくジョン。

自分がこのまま華やかな場にいたら、つい、余計なことを言って場の盛り上がりをぶち壊してしまいそうな、そんな浮かない気持ち……

そういう取り残されたような気持ちを感じることって、個人的に、結構ある。


たのしんでいるひとたちの心証を害するのは本意でないので、ただ、その場を立ち去りたい……

そういう自分の心のこわばりが、この曲に触れることで、共振して少しゆるむ感じがして、”ひとり置いていかれたような気持ち”のとき、いつもこの曲を握り締めるように聴いてしまう。

(もっとも、作詞の真意はわからないけれども…ひとつの解釈として。)


外で精一杯こわばっていた心が、ジンと発熱してほどけていくような……そんな、熱い感情が詰まった歌やことばを、うちにたくさん集めておきたいって思う。