『そぅ!』ボタン

わたし、ジョン・レノンの作品(とかもろもろ)が大好きなんだけども。

ジョンについて書かれた文章のなかで、「やられた!」ってくらい共感した文章があって。それが、この文章。

ジョン・レノンのことが信じられたのは、彼がいつも「個」の立場から歌を歌い、発言してくれたからだった。
彼の音楽からはいつも、「ぼくはこう思う。で、きみはどう思うの?」という問いかけが聞こえてきた。
ヨーコへの個的な愛が昇華され、人類への愛につながっていく。まわりの人々へのそれぞれの思いが広がっていき、世界への思いになっていく。だがジョン・レノンの場合、出発点はいつも、ジョン・レノンという個人であり、それ以外のなにものでもなかった。

「ぼくはソングライターだ。ぼくにはぼくのことしか歌えない」と言ったジョン・レノンだからこそ、彼の歌を聞いてきた。


John Lennon『空に書くジョン・レノン自伝&作品集─ジョン・レノン自伝&作品集』筑摩書房 より

※森田義信氏の文章(森田氏が同書を日本語訳している)


interestedの度合いを「へぇ」というボタンで表現する(←?)という番組があったけれど……

「”そぅ”ボタン」(「私、共感しました」とサインする、ある意味降伏ボタン)、そんなものがもし存在するなら、もぅ、連打連打連打連打連打……連打だわよ連打!!!!! この文章。

ただ、「信じる」という言葉の運用について、森田氏とわたしとでは若干感覚が違うかもしれないけれど……でも、そこを補って余りある共感。


ま、ジョンのこと好きな理由って、これだけじゃないですけどねっ。←負け惜しみ ……てのはまったくの冗談で、素直にすごいと思う。

好きな気持ちとか理由、みたいなポジティブな感情はなかなか深堀りになりづらいから、そこを浮き足立たず、かといって冷たくもなく表現してかたちにできるひとってすごいと思う。

ネガティブな感情なんかは、言葉にして整理しないと抱えてらんない的な切迫感があったりするし、その分、モチベーションも視線も強くならざるを得なかったりするけれど。


そういうこと抜きにしても、単純に、自分が好きなものを他のひとも好きっていってるのって、きいてて(読んでて)なんかうれしいなあとしみじみ感じる。素直に。

ギリギリのシチュエーションで、ジョンのうつくしさをみたひとなのかな……

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森田氏とは関係ないのだけど、『Ai ジョン・レノンが見た日本』(ちくま文庫)っていう本も好き。

ものすごく乱暴にザックリ説明すると、”ジョンの 愉しく学ぶ日本語 イラストメモ帳”的な本なんだけど。(ジョンのセンス炸裂☆


昨日(7月26日)のブログに書いたこと、7月21日のブログに書いた「乗り越えたい」っていう思いとも、ちょっと関係するのだけど……

誰か(大切なひと)を「理解したい!」と思うチカラで、自分の殻・世界・経験則を内側から押し拡げていくっていうこと。


今のわたしに足りないもの、これからのわたしにとって大事なことって、そこなんじゃないかな、、、と。自分ではそう思ってる。