出発点。

先日、何となくインターネットの文章読んでて、「デキるひとって、人間の欲望を直視できてんだなあ」って、しみじみ思った。


確かに、否定したってしゃあないよね。だって、在るものは在るんだから。

消費者だってクライアントだって、欲望で動くんだから。


「こんな欲望は悪だ」といって、欲望そのものを否定するのではなく、「在ってしまう。だから、こうしよう」と活用できるひと。そういうひとが、デキるひとなのかなあ、って。そのとき、そう思ったの。

「自分はこんな正しくない欲望をもっている人間などでありたくない」って、その欲望の存在から目を逸らしてしまったら、何も始まらないもんなあ。


ただ、もちろん、「在るんだから、仕方ないだろ?!」と開き直るのは人間性の放棄。


でも、自分にとっての「あるべき姿」、理想があるのならば、現実と理想とのギャップを把握して、それを段階的に埋めていくようなアプローチで近づけていかないと無理が出るよね。きっと。

”正しくない”欲望も、悪条件として考慮したうえで理想形に近づけていく、みたいな。踏み潰すようなかたちではなくて、システム構築的に。


「在ってしまう。だから、こういう仕組みにしよう」と、直視した欲望(認識)を織り込んだアウトプットができるひと。

さらには、その欲望のエネルギーを、シフトチェンジして原動力として活用するようなシステムを構築してしまうひと。

そういうひとって、しみじみすごいなと思う。


何はともあれ。

それが正しくなかろうと美しくなかろうと、その欲望そのものをひとまず、直視できること。それがすべてのスタートなんだろうな。。。

そんなことを、思ったよ。