人間故郷としてのシロッコ

ファーストガンダムのエンディングに、「永遠にアムロ」ってあるじゃない??

 アムロ~ふりむかない~で~~

 宇宙のかなたに輝く星は~

 アムロ~お前の生ま~れた故郷だ~~

って歌。


”故郷”の歌で「ふりむくな」なんていう歌詞になるところが、もうね…「わたしやっぱりガンダム好きだなぁ…」ってしみじみ実感させられるとこなんだけど。。。


でね、唐突だけど、シロッコって”歩くふるさと”みたいなひとだな…って思ってて。


もっとも、今わたしがいいたい「歩くふるさと」の”ふるさと”と、上記歌詞の指す”故郷”は、少し意味合いが違っているかもしれない。

(歌詞が示すところの”故郷”の意味を、わたしが完全に把握してるとはいえないから、断言はできないんだけど……)


歌詞でうたわれてる”故郷”は、広義の”故郷”なんだろうなって感じる。

生まれた場所、出身地のよりローカルな表現、みたいな意味合いの。どうかな?? 

あるいは、幻想としての、観念としての”故郷”。


わたしがシロッコを指して”歩くふるさと”っていうのは、生まれ育った物理的な場所っていうよりも、”母なる海”みたいなニュアンスのこと。

シロッコの、そういう懐の深さみたいなところがすごいなって思ってて、それを書きたいな…と。


今回、わたしがそういうふうに狭義につかおうとしてる”ふるさと”の意味でいうと、「地球って、はたしてアムロの”ふるさと”といえるんだろうか??」って疑問なんだよね……

(おおっと、早くも冒頭から話が脱線してきたぞ!・笑)


ジョン・レノンが「Mother」という歌の中で

Mother, you had me but I never had you

って歌ってるけど、アムロのケースも、Amuro never had his mother.て感じするんだよね。。。

ねえ、そんな感じしない???


あの御母堂のいるところは、アムロの心が帰れる場所なんかではなかったじゃない??


ちなみに、ジョン・レノンのお父さまは船乗り、お母さまは息子(ジョン)を姉夫婦に預け……って感じで、ジョンは小さい頃から伯母さんのおうちで育ってる。

アムロの御母堂も、幼い息子を育てることより、自分が地球で生きることを優先させたひとだよね??


もちろん、人生の選択も価値観もひとそれぞれだし、それ自体はまったく悪いことではないと思うけど(全然悪くないと思う!!)

ただ、母と別れて宇宙で育ち、(当然といえば当然、半ば必然的に)母が思い描く”理想の息子”の枠組みをはみだしてしまっている息子を、目の前にいるナマミの息子を、受け入れることのできないひとのもとに行ったところで、それは”ふるさと”とはいえないよね?……っていう、そこんとこの話。

善悪の話じゃなくて。


息子がたったひとりで抱えてきたであろう苦悩や苦労や孤独に想いを馳せるよりも先に、理想の鋳型からはみ出す部分を裁き落とす、そういうひとのいるところって「生まれた場所」ではありえても「帰る場所」たりえない気がするんだ。


(もちろん、御母堂の側は、対面に当たっての心の準備がまったくできてなかったと思うし、コミュニティの安全を脅かす存在に対する強い嫌悪感もあったのだと思うし、あれは単に、もうどうあがいても埋めようのない溝ができてしまってたっていうだけの話だと思うし、非難されるようなことではまったくないと思う。くどいけど、善悪の話じゃない。)


なんだろうな……Amuro never had his FURUSATO. なんか、そんな感じするんだよね。。。


ガンダムって、そういう”ふるさと”をもたない…っていうか、もてなかった(never had)ひとたちがわりと出てくる気がして、、、観てていろいろ苦い想いもある。


まさにシャアとか露骨にそんな感じだし、ララァも、サラも、レコアさんも、クェスも、他ならぬシロッコ自身も、たぶんそうなんじゃないかな??

なんか、そんな感じがすごくするんだよね。。。


最初からそれらしいものがなかったひともいるだろうし、アムロのように、”良い息子”の枠組みにおさまっているうちはあたたかく受け入れられていた……「あたたかい ぬくもりの中で めざめた朝」もあったのだろう……そんな”ふるさと”の幻想は、”良い息子”の枠組みをはみ出した瞬間、パチン と霧消した……目の前にある現実の”故郷”は、たんなる「生まれた場所」、それ以上でもそれ以下でもない「出身地」だった……みたいな、そんなケースもあるんだろうな。。。


「”ふるさと”もたない組」は、”ふるさと”のあるひとがそこから巣立っていくのとはまったく逆のベクトルで、しあわせを追求していかなければならないのだと思うのだけど。


それは言い換えれば、”ふるさと”を自ら見つけ出していく、自ら築き上げていく(基礎のないところから)、ということになると思うのだけど。


シロッコって凄いなと思うのは、自分自身が他のひとの”ふるさと”となりえてること。


サラはどんな危険を冒してでも、シロッコの居る母艦に帰りたがる。

サラ然り。レコアさん然り。


それって、たぶん、シロッコが「その人をその人として」みてるからなんじゃないかな?

「”私の”味方」「”私を”満足させてくれる人」「”私を”評価してくれる人」とか、そういう視点じゃなくて。


サラはサラとして。レコアさんはレコアさんとして。(ついでにいうと……ヤザンはヤザンとして・笑)

それぞれのまるごとを受け止めて、それぞれが目指すものなり望むものなりに道筋を示し、献身には応える。


シロッコは、「ぼくがかんがえたさいきょうのサラのしあわせ」や自分のナマの感情を無思慮に押し付けることもしない。

自分の理想の枠組みからはみ出したナマミのサラを、切り捨てたり軽視したり無視したりしない(周囲に有害な支配欲でない限り)。


シロッコが自分の”懸命”に報いてくれる、”甲斐”性のあるひとだったからこそ、サラは命を懸けた作戦遂行にやりがいすら感じてたんだと思う。

シロッコにそういう懐の深さがあったから、レコアさんも敵/味方の垣根を飛び越えてまで、シロッコのもとへダイヴしてきたんだと思う。

(もっといえば、カツの”水深がまだ30cmしかないお子様用プール”にダイヴすることを半ば強要されたから、サラは死ななくていいところで死んだんだと思う。)


そういうのみてて、なんか、シロッコって”歩くふるさと”みたいなひとだなって思ったの。


すごいな…シロッコ自身、きっとすごく渇いていたんじゃないかな??と思うのに……どうしてあんなに強く生きられるんだろう??

そこはやっぱり、能力が高いからなのかな?? リーダーとしての、上に立つものとしての自覚がそうさせるのかな???


シロッコがもっと若いときに育ててくれた女性(たとえば、ララァにとってのシャアのような存在みたいなひと)とか、そういう存在があったのかな???

(※詳しい方、ご存じでしたらぜひ教えてください!!!※)


シロッコ凄い!シロッコの真似したい!!とかってつい思っちゃうんだけど、エマリーさんとかわたしみたいな能力不足の人間がヘタに真似しようとすると身を滅ぼしかねないので、難しいところ。。。orz

相手のニーズを忠実に読み取るのにも、それに応えるのにも、適切な道筋を設計するのにも、全体的な政治的目配りにも、いずれにも高い能力が必要だもんね……(T^T)