シャアとララァの脆弱性~ガンダムXアップデート~

この夏、ガンダムXを観たんだけど……


なんか、なんか、、、胸がいっぱいになった(T-T) 胸がいっぱいになった(T-T)(T-T) 胸がいっぱいになった…(T-T)(T-T)(T-T) ←3回言った。


なんか、とにかくもう、そういう感想だった…(T-T)


もうね、もうね……、なんかもうね、、、ジャミルの目的意識の時点でね、、、もう、胸がいっぱいになってしまった感じ……(T-T)(T-T)(T-T)

わたし、すごい好きかも。ガンダムX。


個々の要素に関しても、書きたいこと、ほんとにいろいろあるんだけど。。。

個人的に一番ぐっときたのは、アムロとシャアとララァの”もうひとつの未来”的なファンタジーをみせてもらえたこと、かな。。。

もっとも、制作側の意図は正確にはわからないけれども……あくまで、鑑賞者としての自分のなかで。


なんていうんだろ……ファーストの、アムロとシャアとララァが出会った環境の、あの「過酷」ともいえるようなしんどさ、


 「この3人が、もっと違ったかたちで出会えていたならば…(/_<。)」

 「ララァが無事に生き延びて、シャアの右腕、それ以上の存在に成長していたならば…(/_<。)」


……みたいな、鑑賞者としての胸のうちに残ってた”無念さ”みたいなものが、ガンダムXで昇華された感じ、っていうか。。。


「アムロとシャアとララァは、どんな形で出会えていたらよかったんだろうか? 報われていたんだろうか?」みたいな……そういう問いに、ひとつの答えを出してもらったような感じで。

(もちろん、その問いに対する答えはひとつじゃないと思うんだけども。)


ジャミルって、アムロの系譜のキャラだよね??! わたしはそう感じたんだけど。

ナイーブな感じとか優しさ(反面、甘さ?)とか。我が身の危険も顧みず、助けが必要なものに突進していくところとか。いかにも”長男”っぽい満身創痍感とか。。。

なんか、すっごいアムロっぽいな…って。


シャアが下町育ちで名実ともにストリートチルドレンだったら、ガロードみたいな子になってたんだろうな……って感じもするし。

ズバリのニュータイプ、ってわけじゃないけどものすごく能力が高くて…

(シャアも、イエを負の要素偏重で背負ったり、自分以外のものとして生きたり…みたいな、ああいう名実が乖離する環境でなければ、あれほど過酷な出来事に遭遇しまくったにせよ、あそこまでいろいろこじらせることもなかったんじゃないか?っていうか、もう少し”予後”は良かったんじゃないか?って気がする……)


で、ララァのちょっと浮世離れした感じ(白鳥死ぬ場面みたいな部分)を純粋培養したら、なんかティファっぽくなりそうだし……


「少年と少女」として出会い、アムロっぽい、他者に無償の愛を注ぐことのできるリーダーの下で、足並みをそろえて共に成長していく……シャアとララァも、こんなふうに出会えていたならば……(T-T)

戦闘しながら、「母になってくれるかもしれなかった」んだとかなんだとか、あんなもつれ方はしなかったんだろうな……とか思う。

(うまくいってさえいれば直視する必要のないことなんて、たくさんあるしね。。。)


もっとも、ファーストのシャアとララァの出会いだって十分に奇跡的で(ってか、むしろそっちのほうがアクロバティックな奇跡の出会いって感じする…)、ああいう出会い方だからこその良さや輝きもあったのだろうし、あのまま順調にいっていれば、ベストカップルになれていたのだろうけれども……やはり、第三者としてのニュータイプが存在しうるっていうところで、双方自覚した上で関係を構築していくっていうのが、ポイントとしては大きかったのかなぁ。。。

そこは、少年・少女の時代に「致命的ではない問題」として、乗り越えておくべきところだったのかな……


そこって、ララァがああいうかたちで亡くなってしまった根本の要因のひとつなんだろうし、シャアとララァの関係のなかの、数少ない脆弱性であったのかもな……