人間油田としてのシロッコ
前回の投稿に続き、シロッコシリーズ、第二段!(・∀・)
シロッコは、「目的がよくわからない人物」だと評されることもあるみたいで……
わたしの想像では……シロッコって本質的にはディフェンス目的で戦っていたひとなんじゃないかな??と。
シロッコって、利用価値の高い能力にあふれた、いわば”人間油田”みたいなひとだと思う。
(プレイヤーとしても、マネジャーとしても優秀で、経営の才覚もありそうだし。)
だから、戦わざるを得なかったんじゃないかな? 生きるために。
シロッコ自身が好むと好まざるとに関わらず。
僕が僕であるために勝ち続けなきゃならないっていう歌があったけど、シロッコの場合、「僕である」というレベルを超えて、じっとしてたらやられる、まさに「やるか・やられるか」の土俵だったんじゃないかな?
シロッコにとっての「世界」って。
だってさ、ある日突然、自分の庭に油田が湧いたことを想像してみたらさ…
石油をだまってかすめようとする盗人がわらわら集まってくるだろうし、利権に群がる汚いズルイ大人とかもたくさん擦り寄ってくるだろうし、だまして利用しようとするひとなんかもたくさん現れると思う。
そういうひとたちから身を守らなければ、人生ごと一気に呑まれてしまうと思う。
まだ石油なら、放棄して逃げ出すこともできるかもしれないけど。。。(それもすごくつらい理不尽な話だけど…)
もしもそれが、自らの「才能」だったら? 「自分自身」だったら?
「命」を投げ出して逃げることなんて、できないよね……
シロッコほど優秀なひとなら、ずいぶん若い頃から頭角を現していたのだろうし(経緯はよくわからないけども…)、おそらく、大人になる前からそういう土俵に引きずり込まれてきたんじゃないかな。否応なく。
シロッコがもっと控えめな性格だったら、もっと無事に生きられたのか??
わたしには、どうしてもそうは思えない。
とても謙虚に生きておられたシャリア・ブルをみても、そう思う。
個人的にも、シャリア・ブルはとても素晴らしいひとだと思うし、「たとえどんな人生になろうとも、自分はシャリア・ブルのような素晴らしい生き方をしたい」というひとがいるなら、それは少数派人間としての、ひとつの立派な選択であり、生き方だと思う。
第一、シャリア・ブルの人生が不幸だったなんて、誰にも決められない。
そんなことは、シャリア・ブル本人にしか決められないこと。
ただ。わたしは、清濁併せ呑む、しなやかでしたたかなシロッコの生き様を、最高にカッコイイと思うし、あこがれる。
(自分の場合、いくらそうしたくても、能力的に絶対に真似できない。だから、ついていきたい。シロッコみたいなひとに。)
「勝てば官軍」のステージで、シロッコは負けた。それが結果であり、現実。
少数派は、理不尽な数の力に取り囲まれて圧し潰される最期、それが現実かもしれない。
それでも、わたしはシロッコみたいなひとについていきたい。
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