『一対一』志向というマイノリティ

いつもいろんな「行き詰まりポイント」で実感するのは、わたしは基本的に、一対一のコミュニケーションにしか興味がもてないんだな…ということ。


もちろん、「一対多」のコミュニケーションにも、公私の「公」の部分では、一生懸命取り組んでいたりする。

ただ、それはやっぱり「発信者側がプロに徹してこそ」という気もしてて。(現段階での、自分のなかでの暫定結論なので、今後変わるかもしれないけれど…)


公私の「私」の部分に関しては、つくづく、「一対一」のコミュニケーションにしか価値を見出せてないな…という現状。


そこのところの価値観にズレがあったことが、具体的な結婚の話まで出ていた元彼さんと、最終的にうまくいかなかった原因のひとつだったと思ってる。(原因がそれだけとはいわないけども。)


元彼さんにとっては、

 【自分(元彼さん)が時間をかけて築き上げてきた大切な人脈のなかに、彼女(わたし)を迎え入れる】

ということが、わたしに対する最大級の”おもてなし”というか、”誠意の示し方”だったのだと思う。(今思えば。)

一方で、わたしにとっては、

 【ほかならぬ相手(元彼さん)自身と、一対一で向き合う】

ということが、最大限の誠意の示し方であり、

 【ほかならぬわたしと、一対一で向き合ってくれる】

ということが最大級の満足ポイントだったわけで……


一生懸命誠意を尽くしているし、相手の言動からも優しさや愛がものすごく伝わってくるのに、いつもどこかもどかしかったんだよね。。。「なんで?どうして?」と。元彼さんも同じだったんじゃないかな…

ものすごく根本的な部分で、価値観がズレてたんだよね。(今思えば。)


で、間違いなく、日本において”普通”なのは元彼さんのほうで、マイノリティなのはわたしのほう。


まあ、そんなこんなで(?)、わたしは「一対一」志向というマイノリティなんだけども……


じゃあ、このブログはどうなんだ、お前、その口(指先?)で今、不特定多数に公開するブログ書いてんじゃねえか、と。


確かに、ブログは「一対一」のコミュニケーションとは言い難いけれども。

個人的には、「一対一のコミュニケーションにめぐりつくための過程」として、ブログを書いているつもり。


わたしにとってブログを書くっていうのは、不特定多数がアクセス可能な空間に「CQ,CQ,I'm here.I'm here...」と呼びかけ続けてる感じ。

そんなふうに呼びかけ続けた先に、「こちら○○、応答願います」(←メール等)というレスポンス(「一対一」の濃密なコミュニケーション)を期待してるんだよね。


だから、わたしにとってのブログはあくまで、「一対一」のコミュニケーションための”たたき台””導線”。

コミュニケーションというより、「わたしはこう思う!」と言い放つだけの、放言の類(苦笑)


ブログ単体では、あくまで放言でしかないから、男性側からの、反応(異議・持論・自論・反論・共感・質問・ツッコミ・マウンティング(/ω\*)etc)待ちなんだよね。


わたしとしては、特定個人に対し何かいいたいことがあれば、明確に当人(固有名詞)にひもづけるかたちで示すようにしよう、と思ってる。これはネット婚活に限らず。

だから、それ以外は全部、世間一般に対する考え(一般論)であり、特定個人へのメッセージではない。


「一対一」なのか「一対多」なのか、いまいちあいまいなコミュニケーションは、ある意味で凶器だったりすると思うから…

逆に「一対多」のコミュニケーションの危険性を過剰に意識してしまうともう、一般的なことすら、何もいえなくなってしまうし…


受け手の立場としても、明確にわたしに向けて発された言葉でない限りは、一般的な話として受け止めるようにしている。(バカと思われても。)

わたし自身にコミュニケーションの可能性を見出しているならば、わたしにひもづけるかたちで発言するはずであり(たとえ発言者名は匿名でも)、逆にそうでない発言については、聴く価値はないと思う(わたし個人にとっては)。


もちろん、あてこすりの類にも一般論としての価値はある(勉強になる・異なる視点が得られる)とは思うけども。

その発言に、個人(あなた)と個人(わたし)がわかりあうコミュニケーションとしての、いわば私的関係性としての価値はないと思う。

(わたしが今いっているのは、「ほのめかし」の類、ネットでいうところの、リンクを張らずに言及する、いわゆる「エアリプ」みたいな態度のこと。そうではないもの、たとえば災害伝言板のような、当人と個人的な連絡がとれなくなり、やむを得ず公共媒体を使って連絡を図る等の特殊事情は除く。)


発信/受信双方の立場から、(公私含めたさまざまなコミュニケーションで)何年間も、さんざっぱら右往左往・試行錯誤した結果、現在のところは、そう考えるようにしている。


もちろん、「一対一」と「一対多」の境界があいまいなコミュニケーションって、うまく使えば粋だし、スマートにも人間関係の潤滑油にもなると思う。

だけど、それは諸刃の剣だと思うんだよね。書き手の意図しない見当違いの方向に突き刺さる危険性があるし、そもそも運用にセンス要るし…

だからこそ、使う場面は極力限定的にしよう、よほどのメリット・事情があるときだけにしよう、という暫定結論かな…