隙間の気持ちよい埋め方

「わからないこと」を「わからない」ままにしておけるって、すごく強さを要することだなって、しみじみ感じる。

だから、わたしは、科学に、医療に、依存する。


たとえば、だけど。

ある日突然、身体に原因不明の痛みを抱えたとしたら、たぶん、ものすごい不安に襲われると思う。


でも、その痛みが何に因るもので、どうすれば、どのくらいの期間で、どの程度軽減するのか、それが判然とすれば、とりあえず、霧のトンネルを抜けることはできる気がする。場合によっては、治療のための更なる痛みにも、耐えられる気がする。


世界は「わからないこと」であふれてて。

その「わからないこと」を「わからない」という現状ありのまま、そのブランクのままに受け止めるって、すごくむずかしい。

空白の、そのサスペンド状態に耐えうるだけの、強さが要る。


当然、耐えられないこともある。

耐えられないときには、その事実と事実の間隙を、何かで埋めるしかない。


仮説、空想、幻想、願望、希望。懐古、恨み、仮想敵。

振動、感動、感情、生きのよい刹那、ぬくもり。

自分で紡ぎ出す物語。他人が紡ぎ出した物語。

大切なひとの言葉。自分が信じたいと思えた言葉。


自分にとって最も心地よいもので、杳さに耐え難い、その穴をふさぐ。


前述の通り、わたしの場合は科学や医療(の専門家)に頼っていることが多い気がする。


ただ、「わからないことをわからないこととして受け止める強さ」がほしくて、限界までは、耐えようとしてることも多いかもしれない。もちろん、それが最良の方法だと思っているわけではないけれど。それこそ、サスペンドな問題。


傾向的には、なるべく、だけど、インスタントでないものを志向(嗜好)している気がするな。