毒になる親

過去のブログを読んでくださった方は、お気づきかもしれないけど……わたし、家族まわりのことについて語るとき、なんかこう、ものすごく奥歯にモノが挟まったような書き方してるんだよね。。。


あれって、なぜかというと、わたし個人のこととして具体的に書きすぎちゃうと、単なる恨み節みたいになっちゃうからなんだよね。。。

だから、反面教師的に「自分が子育てをするときは、こんなふうにしたい」っていうところまで、自分で前向きに落とし込めてる部分だけを、ブログには書いてたんだけれども。


でもさ、それ以外の背景事情を一切話さないなら話さないで、それはそれで、不可解だよね。

「その歳で、近い将来の親の介護のこととか、なにも考えてない無責任女なの?」

……とか、疑問に思わない??


それをメールで、正面からハッキリわたしに質問してくださるのは、こちらとしては大歓迎!!なんだけど。

ただ、、、その、実際問題、もっと具体的な、ナマな話をメールとか対面とかでされたらされたでね、


  (これ…どうリアクションしたらいいの……?)


ってことになると思うんだ。。。実際、面と向かって話しちゃうとね。。。


あと、わたしが親のこととか話したときに、「実のお母さまに対して、そんな表現をするなんて!」という反応があることも、想像つくのね。だいたいね。


ただ、その、、、あたたかい愛のある家庭に育った方には、とても想像がつかないかもしれないけれども、世の中には、実にいろんな「実のお母さま」がおられましてですね……(汗)

同じような境遇で育った者同士には「ああ……(/_< )」と ピン とくることでも、そうでない環境に育った方からは、ちょっと、想像つかなすぎて、話者の人格のほうをまず疑ってしまう……そういうものだと思うのね。それはもう、仕方ないと思うのよ。


だから、一番話が早いのは、スーザン・フォワード著『毒になる親』っていう書籍(公立図書館とかにも結構入ってる)を読んでいただくことなんだよね。

わたしが個人的な話を主観的に延々とするよりも、よっぽど、わたしという人間の輪郭を的確に把握していただけると思う。そのほうが話早い。絶対。


もちろん、「コレ読んどいて!」で丸投げっていうのは、わたしを人生の伴侶候補としてご検討くださる方に対して、大変失礼な話だと思う。

だから、自分の言葉でもきちんと伝えられるように、今後も地道に、少しずつ、ブログで間隙を埋めていくつもり。


ただ、それは効率のいい方法でないことは、確かかな。相変わらず、奥歯にモノが挟まったような物言いになると思うし。。。


あとね……こういう問題って、当事者から声を上げても、

 「いい大人になってまで、不本意な現状を親のせいにして自分を正当化しようとしている。『生まれ育った環境がそんなだったから、わたしには短所があっても仕方がない』って、開き直って甘えてるの?」 

 「いつまでも過去にこだわって根に持っている。前向きに生きればいいのに。『かわいそうに…それはさぞつらかっただろうね…』って同情してもらいたいわけ?」

 「『苦労して、がんばってきたんだ。それはえらかったね、すごいね』って認めてほしいの?」

って、思われがちなのは、自分が一番よくわかってるんだよね。。。


そうじゃないんだよね。そうじゃないの。

過去のことは過去のことで、もう済んだことだし、両親も高齢だし、いまさらあれこれいったところで仕方ないから、過去の体験を今後の自分の子育てに生かすのみ。ただ、それだけ。

別に同情されるようなことでもないし。自分のダメなところは過去をいいわけにせず、即改善していきたいし。


未来志向の動機でする(せざるを得ない)ネガティブ話だから、別に「あんなことがあった」「こんなことがあった」っていう、わたしの個人的な話を聞いてほしいわけじゃないのね。

個別の話に関しては、むしろ、わたしとしては、もう「過去のこと」として、触れたくないし触れられたくもない感じ。


ただ、わたしの現状や理想像がどこから派生してきているのか、わたしの家族観がどういうものか、その共通認識がほしいだけなんだよね。【←ココ重要!!】

結婚する・子どもをもつ、となれば、家族の問題は無視できない部分だし。


で、そういう共通認識があれば、問題の根っこに基づいて、現状ダメなところを指摘し合ったり、改善策を提案し合ったりもできると思うから。


もし、旦那さまがあたたかい愛のあるご家庭に生まれ育った方なら、旦那さまのご実家のよい部分をたくさん真似したいし、もし旦那さまもわたしと同じような機能不全家庭のご出身ならば、ふたりで力をあわせて、同じ轍を踏まないように、実家のカルチャーに陥りそうになったらお互い指摘し合いながら、あたたかい家庭をつくっていきたいな、って。