恐竜in氷河期
以前にね、「寒い季節を、どんなふうに楽しんでる?」みたいな話題の振り方をしてる方がいらっしゃって。
なんか、すごくいいなあ…って、しみじみ思ったの。
「寒さ」を「耐え忍ぶもの」「乗り切るもの」としてのみとらえるのではなく、「寒いならば、寒いことをたのしむ」、こういう考え方、なんか、いいなと思った。すごく。
話題を振られて答えてる方々の話を聞いてても、すごくたのしくて、わくわくした気持ちになれたし。
こういうふうに、ポジティブに場を盛り上げられるような、そういうきっかけをつくれるって、すごいなって思った。
でね、わたしの個人的な目標としては、そういう前向きさとモチベーション確保の、ハイブリッドだなって、考えた。
「寒いならば、寒いことをたのしむ」みたいな、そういう前向きさ、すごく大事だし、個人としては、それと同時にモチベーションの部分もしっかりしていかないとな、って。
モチベーションっていうのは……「たとえ寒くても、ここに居続けたい」と思えるくらいの”なにか”を見つけること。
それが、これからのわたしの人生の、かなり重要なポイントになると思う。
環境の制約を「前提」として、そこに働きかけることをせず、もっぱら未来と自分を変え、その制約のなかでの最大限のよころびをみつけていく……その繰り返しの果てに、結局、今のわたしがいて。
”幸いにも”、とにもかくにも、今この瞬間までわたしは生きてくることができた……そのことを素直に肯定できていない、今のわたしがいて。。。
氷河期がきて、恐竜は絶滅した。
寒い環境に適応する柔軟性があれば、恐竜は生き延びることができたかもしれない。
ただ、極寒の世界をなんとか生き延びることは、恐竜にとって、果たして、いいことなのか……
恐竜にとって、凍てつく空気に閉ざされた世界は、自らを変革してまで生きるに値する世界なのか……
「たとえ寒くても、ここに居続けたい」と思えるくらいの”なにか”……その”なにか”は、もちろんエニシングではなくて、それでなくてはならない、固有のもののはずだけれど。
既存の思考の延長線上には描けないものだから、”なにか”としか表現することができずにいる。
まあ、なにはともあれ、まだ、わたしは死に絶えていない。世界は、わたしを締め出していない。
ならば、たのしく生きよう。なるべく。
……今は、なんか、そんな感じかな。
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