友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
夫婦間で「やすらぎ」を追究しようとしたときに……
「路線が違う」同士でパートナー組むって、クラシックながらも、効果的な処世術的テクニックかもしれない。
たとえば、夫婦で就いてる業界に重なりがないとか、個性・持ち味が違うとか、趣味分野が違う、みたいな。
似たもの同士カップルなら、単純に、役割分担があるだけでもよさげ。
「男/女」なんてまさしくそうだろうけど、越えられない個性の違い、根本的な路線の違い、みたいなものを、うまくつかっていくのもアリかなあ、と。
そもそもそこに競争の論理をもちこまなくて済む、という安心感みたいなもの。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来(き)て
妻(つま)としたしむ
石川啄木『一握の砂』より
その昔(まだ若かった頃w)、この歌を知って、(まがりなりにも)女性のひとりとして鼻息を荒くしていた( ̄‥ ̄)=3わたしだけど……(笑)
最近は、ちょっと、見方が変わってきた。
たとえば「最新PCのスペック」と「花の香り」なんて、比較できるものじゃないし、そもそも比較しようとも思わない。
だからこそ、そこに「やすらぎ」もあるのかな、と。
花同士の競争だって、生やさしいもんじゃないしね。
(※歌の解釈は読者それぞれにあると思うし、啄木の実人生に即して解釈すると、もっと他の解釈の可能性が考えられるらしいのだけど…あくまでひとつの私的解釈として。。。)
【これより下記は、上記の文章に違和感を抱かれた方のみ、お読みくださいm(_ _;)m とくに違和感のなかった方は、一切読む必要ないです。無駄に踏み込みすぎてるので……(汗)】
なぜ、出会いのためのブログで、いろんなメンドクサイこと、読んでて疲れるようなことを書いているのか?
もっと何気ないライトネタ、ふわふわした、やわらかい内容のブログを展開したほうが、パートナー探しに効果的なのでは?
リアルでの(あずなの)日常会話は、ふぁふぁふにゃふにゃニコニコあたりさわりなく…めったに相手を否定せず……(←良くも悪くも)な感じなんだから、ここで毎日ほのぼのブログを書いたとしても、あながち粉飾アピールというわけでもないよね??
ただ……
あまり受容感ばかり前面に出しすぎると、自分にとってミスマッチな出会いを呼び寄せてしまう可能性があるんだよね。。。リアルでもそうだけど。
「傷の舐めあいしたい」、それだけなら全然いいと思うし、わたしもときどき舐めたり舐められたりしたいけど……「相手も自分のレベルにとどまっていてほしい」、相手ががんばって納得いかない現状を脱しようとしているときに、足を引っ張って自分の位置まで引き戻そうとする……そういうのは、わたしが求めている出会い・関係ではないのね。そういう関係を、呼び寄せたくはないの。
(もちろん、相手の目指す「前進」が自分には「前進」だとどうしても思えないとき、「ねえ、そっちって、本当に前なの?」と確認する、わかりあえなければ適切な距離をとる、それぞれの路線でそれぞれがんばりつつ応援しあう……みたいな、そういうことは十分ありえると思うけど。それは別の話として。)
「置いてかれたくない」みたいな感情は、誰しも多少はもっているものかもしれないけど……「置いてかれそう、不安、くやしい」と思ったら、それを自分ががんばるための燃料にできる、そういうひとと関わっていきたい。これからの人生。
で、そういう基本姿勢のひとほど、家庭内での「やすらぎ」や「癒し」がものすごく大事なんだって、そこはちゃんと理解してるつもり。
そんなこんなで、上記(前半部分)のようなこと、考えたりしてる。
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