普通にかわいい

以前、感性の面でかなりリスペクトしてる知人女性とお話ししてたとき、

その女性が、

 最近、「普通にかわいい」って表現、よく聞くよね?

みたいなこと、おっしゃってて。確かに、って思って。


普通にかわいい。

いつからよく耳にするようになったんだろう。


以前から、普遍的にそういう心理(感情)はあったのだろうけれど、近年、誰かが「普通にかわいい」と表現したことが、多くのひとの感覚にしっくりきて、んで、市民権を得て、一気に拡がったのかなあ??


件のお話のなかでは、「女子がよく言うイメージだよね…」みたいな文脈で。

その女性の分析によると、「話者である女子にとっての”かわいい”のレベルが上がってきているから、そういう言い方になるんじゃないか?」っていう話だったんだけど。


確かに、いわれてみれば、「かわいくてあたりまえ」みたいな、成熟分野についての表現かも。

期待値が前もって存在するものに対する表現、っていうか。よくわかんないけど。。。


期待値は充分満たしてくれてるし何の不満もないけど、逆にいえばそれ以上でもなくて、感動がない、というのは言い過ぎで、確かに感動はしてるんだけど、予想外の衝撃・驚きのようなものはなかった……みたいな??


まあ、「それそのものとの出会いの瞬間」以上の衝撃が、出会い以後にあるということ自体、本質的に、非常に成り立ちにくいものだという気もするんだけど……

どうしても期待してしまうのは、仕方がないのかな。やっぱり。。。


「普通にかわいい」が使用されてるシチュエーションを考えると、その女性がおっしゃってた通り、女子がよく言いそうなイメージは、確かにあるかも。

男性は決まった定食屋で「いつもの」がいいのかな?? あくまで、傾向的に、だけど。

そういう意味でいうと、わたし自身はどっちかというと、あまり変化を求め(好ま)ないオッサン的なタイプかも…σ(^_^;)


ただ、どんなものごとに対してもそうだけど、受け手の側で、期待値がどんどん上がってくってことは、なんとなくわかる気もする。

商品とか、特定のアーティストとかに対してもそうだし、仕事や、私的な人間関係についても。


「上がっていく」というだけの単純な話でもなくて、そのうえにさらに、質問されてもうまく説明が返ってこないような、おぼろげな「らしさ」みたいなものをふまえることも求められてて……

しかも、その「らしさ」って、発信側の実体というよりも受け手側に依拠してるっていうか。。。


変化や驚きを求めてはいるんだけれども、既存の「そのもの」の枠組みから大胆にはみ出したらはみ出したで、それはきっと、「変わってしまった」という不満につながってしまうはずで。

たとえマイナーチェンジでも、受け手・そのひとの「この製品の、ココが気に入って使ってる」っていう、その「ココ」の部分がたまたま変わっちゃうと、それはきっと、「○○らしさがなくなった」という不満につながってしまうはずで。


そんなこんなを考えると、「普通にかわいい」付近を実現するコントロールって、実は、かなり高度な技なのかもしれないね。

食品とか、「製品」みたいなものだったら、コスト管理とかも含めて。


逆に、自分がつくり手・提供側の立場になったときのことを考えると……


受け手の存在を意識しながら、期待値+1mmのあたり?を必死に狙って投げ込んでみたり、そういうことに夢中になれるってこと自体が、ちょっと愉しかったりとか。

求められ、期待され、それに応えたいと思う気持ちで、自分が変化していけるってことが、なんとなくうれしかったりとか。

はたまた、「こーしたらこーしたで文句言うけど、あーしたらあーしたで文句言うくせにっ。どねいせっちゅ~ねん」なんちて、ニーズや期待値を厚顔無”視”して、突き進んでみたくなったりとか…(^皿^;)

いろいろかなあ。


いずれにせよ、プラスであれマイナスであれ、「手応え」がすべて、という気はするかな。

それが、「感動!」でも、「残念↓」でも、「普通にかわいい」でも。