あ書く

キャロル・キングの「Anyone At All」って歌に

 Words can promise.
 Words can lie.
 But your words make me feel like I can fly.

って歌詞があって。

わたし、この歌詞、大好きなんだけど。

同じ言葉でも、自分にとってかけがえのないひと、スペシャルなひとから言われるからこそ、意味を持つ。

あとは、身も蓋もなくなっちゃうけど、ハロー効果ってやつ? そういう面って、確実にあると思う。

もちろん、そういう面は、絶対、確実にあると思うんだけど……


でも、それだけじゃないって気がするのね。


ネットでも不意に、深い影のついた言葉っていうか、そういうのに出くわすことがある。どこの誰が書いたんだか、まったくわからないような文章なんだけど。

でも、それってきっと、誰にとってもそうってわけじゃないんだろうな。きっと、書いたひと(どこの誰だかわからない)と、わたしとの相性の問題が大きいんだと思う。


自分のなかに閉ざされていた、記憶なり、感情なり、欲望なり、そういうものが格納されてる場所を、パカッ と一瞬で開けてしまうような、そういう言葉を放つひとがいて。

そういう邂逅が、いわゆる、ピンとくる、とか、琴線に触れる、とか、そんなふうに表現される瞬間なんだろうけれども。


この歌の「you」の言葉は、「I」の何かを解き放ってる。

それは、「you」が「I」にとって、スペシャルなひとだからなのか。

あるいは、「I」の何かを解き放てる「you」だからこそ、「I」にとってスペシャルな存在になりえたのか。


きっと、両方だよね。

愛っていう小さな火種を、相性の良さでしっかり補強して。細っこい相性の良さを、力強い愛で包んで。

相互補完的なんじゃないかなあ。きっと。


相性の良さが鉄筋で、愛はコンクリート? ダメだ…比喩にロマンがないな(笑)

でも、きっと、一気にガッと築ける類のものでもなくて、少しずつ、少しずつ、補強していくものだよね…。


言葉に依存しているひとほど、言葉のもつ強大なチカラを書き手がコントロールすることの困難さと、ある程度のところまでは、言葉でなんとかなってしまうという事実が身にしみているように思う。


だから、といって割り切って言葉をつかっているひとばかりではないだろうし、絶望の段階にとどまっているひとばかりではないと思う。

そもそも言葉に依存しているのだから、現実問題として絶望にとどまってもいられないってのもあるだろうし。


だから、それをふまえたうえでも、信じたいと思える言葉を必死に探しまわっているし、大切なひとにこそ信じたいと思ってもらえるような、その大前提として、少なくとも書いた自分自身が、表現したいなにがしかに忠実だと思えるような言葉を、求め、必死に手を伸ばして”掻”いて、書いて、いるように思う。