熱い手

なんかね。思うんだけど。

なるべくは、異なるもの同士をつなぐようなコミュニケーションをとりたいなと思ってて。なるべくは。


たとえばね、お子さんがいらっしゃる方と、まだ子どものいないわたしとで言葉を交わすときに。

「まだ子どもがいないあずなにはわかんないよ」っていわれちゃったら、コミュニケーションを拒絶されたようで、ちょっとさみしくなっちゃうかな…っていう。。。


わたしが男性とお話ししてるときに、「男に、このつらさはわかんないよ!」っていったら、もう、その段階でコミュニケーションが断絶しちゃうっていうか……。


だから「わかるひとだけわかってくれればいい」っていう表現は、こういうところでは、なるべくしたくないっていう思いはあるんだけど。

そういうラフな表現をすると、わたしの意図通りに受け取れるひとにはすんなりいくけど、そうじゃないひとに対しては凶器にもなりかねないなって思うし。


だから、なるべくは、自分のなかで噛み砕ける状態にしてから、ひとに伝えたいって、そういう思いはあるんだけど。。。


……なんだけども。。。


わかってくれるひとがいるんじゃないかっていう希望に駆られて、未分化な自分も投げ出してみるね。


毎回言っててクドくてごめんだけど、もちろん、誰かを批判しようとか、そういう意図はまったくないからね。


なんかね。

「冷たい手で触らないで!」と思うことがあるんだよね。


当然、自分が逆の立場にいることもあるから、心しておかなければ、と背筋が伸びる部分もあって。

「礼を尽くしてくれれば」

「真心をもって時間をかけてくれれば」

「こちらの意に共感してくれれば」

という心の広いひともいらっしゃるみたいなんだけど(そういうひとに出合うと、人間できてる!って、尊敬する…)、わたしの場合は残念ながら、丁寧に対応されたところで、人間として大切に扱われたところで、相変わらず受け入れられない。


「熱い手をもったひとになら、触れられてもなんとか耐えられる」

わたしの場合は、そんなふうに感じる。


わたしを欲望の対象として、相対してくれるひと。

「できればそっとしておいてほしい」という部分も、そういう「熱い手」でまさぐられることには、なんとか耐えられる。わたしの場合は。


絶対ではないけれど、うまくすれば、その先にわたし自身の快感もある。

おそらく、成長もある。