時速120kmの快感

前ね、吉本ばなな著『満月-キッチン2』を読んでて思ったんだけど。

ああ、わたしって「自分の感情の面倒は自分でみるもの」って思ってる派の人間だなあ…って。


もろもろの感情……感情というより「我」とか「自分」とかいったほうがいいのかな……そういうものを周囲に撒き散らしながら生きてるような方々をみて、人間として魅力的だなと感じることは、わたしにもある。(うらやましい、とは思わない。)あくまで人間として。女として、じゃなくて。

そういう方々のほうが、社会では好感をもたれる、いわゆる「人好きのするタイプ」であることも、痛いほどよくわかってるつもり。

自分の考えや感情を露わにしない人間を、「信用ならない」とみなす層が少なからずいることも、痛いほどよくわかってるつもり。


それに、そういうノンストッパータイプの方々が上に立って、積極的に周囲のひとを巻き込んでいくことが、結果的に、社会全体に大きな益をもたらすってことも、頭ではきちんと理解しているつもり。

そういう方々がリーダーシップを発揮しないことには、社会は大きく動いていかないってことも。わたし自身、そういう方々のおかげで、さまざまなメリットを享受しているという現実も、自覚しているつもり。


「経営者になるためには、自分のなかにある”ブレーキ”を自らぶっ壊す必要がある」という経験談を、どこかで聞いたこともある。


社会的存在の人間として、職業人として、そういう方々に対する尊敬はもってる。それが大前提。そのうえで、個人的存在としての自分、女としての自分の好み(それ以上でもそれ以下でもない、単純な”好み”)の話をすると、わたしは、馬力のあるエンジンを積んでるような男性よりも、端正なブレーキを搭載している男性のほうに惹かれがちかな。

ものすごく優秀なエンジンをもってる方々を、遠くから(社会的・職業的な自分の持ち場から)みて、「すごい!! 尊敬する!!!」とは思っても、その敬意って、「その方の心の半径3m以内に自分が立ち入りたい」とか、「自分の心の半径3m以内にその方を引き込みたい」とか、そういう気持ちには、まったくリンクしてない。関連がないっていうか。


わたしが個人として、女として、その男性に惹かれるかどうかって、エンジンの強さそのものには、あまり左右されてない感じがする。何馬力かとかは、あんま関係なくて。それより、ブレーキの優秀さ(とくに端正さ)のほうに、つい目がいっちゃうっていうか。。。


わたしジョン・レノン大好きなんだけど。あのひと、エンジンも、もんっのすごい、めちゃごっつぃ☆やつが載ってると思うんだけど……何がすごいかって、そのエンジンの動力を制御できるだけの、ものすっごぉおおおく器用で端正なブレーキを併せもってるってところじゃないかと思うの。持論だけど。てか、誰が何といおうと、わたしはそう思ってるの!

そのジョンが、オノ・ヨーコ氏に惹かれたっていうのも、なんかこう、すごくしっくり、納得できる気がするんだよね…。所詮、ふたりのことはふたりにしかわからないし、外野からわかったようなことはいえないんだけどさ。。。


わたしは自己主張の強いひとが、男女問わず大好きなんだけど、わたしが大好きなひとたちって、なんていうか、自己抑制のもとで、「いつでも止まれる」「ここなら多少スピード出してもOK」っていう環境下で、自らの責任の範疇でアクセル踏んでる感じがするのね。なんとなく。

だから、たとえば普段、自分がヒマなときに電話かけてきてガーッと話すような感じでも、いざ、わたしが「ごめん、今、ちょっと手が話せなくて…急ぎの話?」みたいな反応のときは、ものすごくアッサリ「あ、忙しいんだ! じゃあ、またね!」みたいに、自分の側の都合「今、ヒマ! 話したい!」って欲求に、キュッって鮮やかにブレーキ掛けられるっていうか。


わたしは、自分自身がなかなか「このスピードで!」っていう自分のスピード表現をできなかったりするので(そんな自分がものすごく嫌だったりするので)、「ひゃっほ~♪ やっぱ、時速80km、まぢイイわ!!」みたいに、そこからスタートできて、同乗者が「ごめん、ちょっと怖い…(>_<)」っていったときに、「そっか、じゃあ今日は、時速50kmで安全運転でいくか~♪」みたいなところに着地できる大人なひとが、かなりのあこがれ混じりで、ものすごく・ものすごく、大好きだったりする。

ついでにいうと、「じゃあ、そこの喫茶店で降ろすから。俺、ちょっと、時速80kmでそのへん一周してくるわ!」みたいな感じだと、一緒にいて、ものすごく、居心地いいかも。


あまりヘイトスピーチはしたくないんだけど、ポジティブ表現だけでは伝えたい輪郭がうまく伝え切れない感じなので、個人的な好みに関してもうちょぃ踏み込んでいうと……わたしが「怖い」っていってるのに、「よそ行ってきいてみろ! 時速40kmの走行で怖がるやつなんてどこにもいないぞ!」みたいにあしらって、まったく聞く耳もってくれない男性は、ちょっと苦手かも。。。


同じことでもね、「みんな時速50kmで走ってるから。これ以上スピード落とすと、事故っちゃうから。逆に危険だから。怖いかもしんないけど、行くよ! ほら、しっかりつかまってな!!」っていってくれるような男性は大好き。めちゃめちゃ大好き。

そういうひとと一緒なら、たぶん、時速120kmでも、わたしは怖くないよ。(※時速120kmは比喩です※


で、「お前、さんざんひとのことばっかいっといて、自分はどうなんだよ!」って話なんだけども……(;´▽`A``


わたしは……ブレーキはかなり強力なほうだ、とは思う…(強けりゃ良いってもんじゃな~ぃ!w)。わかんないけど。(メールのやりとり等を通じてご判断ください。)


ただね、、、致命的に、ブレーキが…なんていうんだろ、プリミティブだね……(;´▽`A`` 単純ってか、原始的?


うまく伝わるかわかんないんだけど、こう、「エアコンの設定温度28℃、ちょっと汗が引かないから、27℃に…」みたいなシームレス感が無い、っていうか。。。イメージ的に、扇風機の「弱/中/強」ボタン3つだけかよ!みたいな? 「中」の次はいきなり暴風ブォォオオオオオ!!!!おでこ全開相手驚愕、みたいな?…(;´▽`A``


ウジウジ怖がってるときと、一旦「よし!! 腹括って、やる!!!」となったときの落差がかなり激しかったり。。。

普段、自分の話とか全然しないのに、「このひとならわかってくれる!!」と思った瞬間に、「(精神的)露出狂かっw←」ってくらい、自分の思いをぶっちゃけ始めたり。。。


(逆に、それこそ、十年単位の付き合いでも、相手によっては絶対に心開かないかな。。。っていうか、開けない。開こうと思っても。)


ただ、年齢を重ねてくなかで、多少なりとも己を知って、自分というものの操縦術をそれなりには身に着けてきたので……(現在は、「中」と「暴風」の間に、さすがに「涼」ボタンくらいはあるかな…(;´▽`A``)

今後については、まあ、伴侶の”開発”次第かと……( ̄∀ ̄)


冗談抜きな話ね、「痛ってぇな!(怒)」とか「なんだ?その程度か?!もっと気合入れてかかってこんかい!!」みたいに、わたしの言葉の真芯をとらえて打ち返してくれるひと(”手応え(甲斐性)”のあるひと)にお相手していただけた場合、まあ、それなりに学習能力はあるほうだとは思う…ょ…(←歯切れ悪い…(^▽^;)。


そんなこんなでね(そんなこんながちゃんと伝わったか、よくわかんないけど…(;´▽`A``)、わたしは基本的に「自分の感情の面倒は自分でみるもの」派なんだけど…


でも、その基本ラインがありつつ、そこからこぼれてしまう感情や欲望、ひとりでは抱えきれないもの、そういうものを分かち合えるふたりだといいなあ、ってしみじみ思うのね。

それが、ふたりで生きていくっていうことの意味でもあるかなあって。


性的なこともそうなんだろうけど、それだけじゃなくて、それ以外の日常的なこと、人生の大きなことについても。ふたりのそれぞれの輪郭や感情をいい意味で、心地よく(一瞬の不快でも、スパイスみたいな、あまい類の不快)侵犯し合うようなこと。踏み潰すようなかたちではなくて。


人間としての成長とか、夫婦(カップル)としての成長とか、快感のフロンティア(?)とかって、そういうことの先にありそうな気がするなあって。なにも、いたずらにアブノーマルなことをしようとか、そういう意味じゃなくて。ほんとに、それこそ、メールの、たった1行とか。


相手がいるところに手を伸ばそうとしたときに、今までの自分という枠組みから、ほんのちょっと、足が浮いてしまう、その、たった1mmくらいのサスペンド状態っていうか。快感とか強烈なやすらぎとかって、そういう、ものすごくミニマムなところに種がある気がするのね。わたしは。ねえ、どう思う?


わたしといるとき、相手が、その端正で優秀なブレーキから自然に足を離した状態になってた…、みたいなふうになれたらいいなって思うし。

相手がわたしじゃ、なかなかむずかしいとは思うけど。そこは、少しずつでも。


そういうのって、単純に技術的なことで解決できる側面もあるだろうし、あとは、同じことでも「誰にされるか」が大事なことってあると思うから。

「あずななら」って、どれだけ思ってもらえるかどうか、なんだろうな…とは思う。