好きの放出技術

なんかね。

自分の抱える感情に対処する、そのための技術、みたいなことを考えたりする。


自分から生まれ出るものに、かたちを与える、っていうか。

裡に生まれた感情を、「わたし」という意志と個性のフィルターでちゃんと濾して、かたちにしてから、相手に渡す、みたいなこと。


「わたし」という輪郭が弾けるようなかたちで伝わってしまう前に、自ら割いて道をつける、そのための技術とか、スキルとか。


たとえば。好きなひとに好きと伝えること。日々、コンスタントに、あるいは局面・局面で山あり谷ありに生じ続ける感情を、何かにシフトし続けること。

知りたくて、笑いかける。視線がほしくて、手を振る。並びたくて、スカートはく。迎えたくて、根菜を煮る。いとおしくて、抱きしめる。

たとえばだけど、そんなこと。


ただ、それはやはりあくまで後天的なものだから。

未知の感情や知覚に具体的なかたちを与えて、その源泉に自ら刃を入れるのは難しいって、しみじみ思う。

こんな、おとなになっても。