無償の愛=もらい●●

なんかさ。

わたし思うんだよね。この世の中で、「無償の愛」に一番近い行為って、「もらい●ロ」なんじゃないかって。


あれって、ものすごく純粋な共感の行為(結果)だよね?

ただひたすらに、相手の痛み(吐き気)を我が痛み(吐き気)として、ひしひしと受け止めてて。


「もらい泣き」にも近い要素あるけど、もらい泣きの場合、「あの時、あずなさんが一緒に泣いてくれた」みたいに、相手の方から感謝されちゃったりする可能性もあるじゃない?

可能性でしかないわけだけど、そういう結果が多少なりとも想定される以上、無償の行為としては成立しづらいよね。もらい泣きするほうの内実がどうあれ、相手や第三者からそう受け取られる可能性がある以上は。


その点、「もらい●ロ」の場合、「あの時、あずなさんが一緒に吐いてくれた」みたいに、相手の方から感謝されちゃったりすることは考えづらいわけで。


一緒に吐くほうも、一緒に吐かれる(?)ほうも、あくまでインディペンデントに吐いてて。

そこに、なんら偽善的・儀礼的な感情のギブアンドテイクはなくて。

そこにあるのは、ただ、純粋でプリミティブな共感の結果で。


…なんだけれども。

トータルな結果としてみてみると、先に吐いてたほうも、もらい●ロしたほうも、「ボクノカオヲタベナヨ」的っていうか、なんかこう、アンパンマンちっくな、自己犠牲の役割を互いに引き受け合ってる感があると思わない??

あくまで結果的に。

あくまでピュアに。


そんなこんなで、やっぱ、思うんだよねえ。「無償の愛」に一番近い行為って、「もらい●ロ」なんじゃないかなあ、って。


字面が美しくないし、話すシチュエーションをかなり選ぶから、なかなか披露しづらい持論なんだけどさ。。。(^▽^;)