てぃきっといーじー☆の深度
黒沢清っていう映画監督の方がね、なんかのインタビューで
「大げさにいいますけど、世界が滅ぶことはない、って考えているのは、本当のオプティミストではないんです。世界が滅んでもいい、でも大丈夫だ、と思っている方が本当のオプティミストだと、僕は思います。」
みたいなことをおっしゃってて。
本当にそうだよなあ、って、しみじみ共感したの。
(琴線に触れた言葉だったから書きとめておいたんだけど、出典、メモするの忘れた……orz)
わたしね、普段から結構心配性で、「Take it easy.」みたいな意味のことをいわれることが、これまでもよくあったんだけど。
あ、もちろん、日本語で、ね。「なるようにしかならないよ」とか「大丈夫だよ」とか、そのときによって表現は違うけど、まあ、ざっくり英訳(要約)すれば「Take it easy.」みたいな意味の声かけ、ね。
でね。
言われて、心の底から、じわぁあああっと安堵が湧き上がってくるような「Take it easy.」と、言われたときに無性に哀しくなる「Take it easy.」があるんだよね。。。言葉面(アウトプットの表現)としては、ほぼ同じようなことをいわれてるんだけど。
じゃあ、同じ「Take it easy.」という言葉の、何が違うんだろうって思ったときに、それは「世界が滅ぶ可能性を考慮しているか否か」の違いなんじゃないか、って。
もっといえば、「世界が滅ぶときは、誰かが何とかするだろ」じゃなくて、「世界が滅ぶとき、自分はどうするか」っていう発想の有無というか。。。
もちろん、ひとの悩みって、そのひとが置かれてる立場から発生してくるものも多いだろうから、違った立場のひとは想像しえなかった(とくに想像する必要がなかった)ような危惧もあると思う。
さまざまな経験をするなかで、多様なリスクを目の当たりにして、初めて慎重になるということもあると思う。
人間は毎日、多かれ少なかれ、ベネフィットのためにリスクをとりながら生きているわけで、さじ加減しながら危険を冒していかないと社会生活は営めない(生物としても)。心配するにも、安全を期すにも、どこかで線引きは必要。それはわかってる。
でもなんだろうな、、、いろんなものを飲み込んだ(こちらの思考に寄り添って危惧を想像してくれた・想定してくれた)「Take it easy.」には、包み込まれるようなあたたかさを感じるんだけど、そうじゃない「Take it easy.」には、なんていうかこう、ブルドーザーでガーってやられてる感じがある。踏み潰されてる感、っていうか。
不安な気持ち、怖かったこと、つらかったこと、もう二度とこんな目に遭いたくないって思ったこと、悩んだこと、調べたこと、真剣に考えたこと……全部全部、「そんなのムダ」って片付けられてる気持ちになる。
もちろん、わかってるよ。「Take it easy.」って言ってくれた相手は悪気ないどころか、むしろ、こっちを元気付けようとして言ってくれてるってこと。それはわかるんだけどね。。。
相手から「Take it easy.」っていわれて、心の底からあたたかい安堵が湧き上がってきて、
「そうだね。いつまでもそんなこと考えんのやめるね! あったかいおうどんでもつくって、ふたりで食べよっか♪(^-^)」
みたいな気分になれるときって、なんか、うまくいえないんだけど、影がついてる感じがするのね。「Take it easy.」って言葉に。立体感っていうか。
「あずなは空が落ちてくるかもって心配しているが、現時点で、空が落ちてくる確率は、ざっくり、若干過大気味に見積もったとしても、○%以下だ。一方、空が落ちてきた場合の対策を講じるには、少なく見積もっても○円以上はかかる。対策を実行するなら、それに費やす時間も膨大だ。ひとの一生は短い。○%の確率に○円、そして何より貴重な人生の時間を費やすくらいなら、『空が落ちてきたなら、そのときはそのとき。』とふたり腹括って、笑って生きていこう。世界が滅ぶ、その瞬間まで、ふたり手をつないで仲良くいられるなら、それが何よりも一番しあわせなことじゃないか。」
……みたいなことを背景にもってる、
「Take it easy.」
のひとこと(←実際のアウトプットはこれだけ。)っていうか。。。
もちろんね、社会では、相手が言った「Take it easy.」の深度とか、こんなことにいちいち目くじら立てて生活してるわけじゃないよ。わたしだって。
「おはよう!」「こんにちは!」「てぃきっといーじー!」みたいな、挨拶に近い類の常套句だと思うし。潤滑油程度に、励ましの厚意だけ、ちゃんと受け取るよ。
ここでこんな細かい事こちょこちょ書いてるのは、人生の伴侶との間に、コミュニケーションの下地をつくりたいから。
他の誰にも求めないことだって、人生の伴侶には、求めたいから。求めたいし、求められたいから。
価値観の否定って、するつもりなくても、思わぬところ、ポジティブな言葉のなかにも潜んでたりするから。
「こんなふうにいわれたら、わたしはこんなふうに感じてしまうんだよ」って、相手はエスパーじゃないから、ちゃんと伝えたい。
逆に、「お前はよかれと思っていってるのかもしれないけど、俺はそういう言い方をされると不快」とかも、ちゃんと教えてほしいって思う。
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