まるごとスイカアタック!!!(レシーブ☆)
尊敬するひとが見つかると、つい、全力でじゃれついてしまう。
「ずっとずっと抱え込んできたこの疑問、このつまずき、このもどかしさ、あなたなら応えてくれる気がする、あなたならわかってくれる気がする、そんな気がするのっ!!!!!」
と、疑問と鬱屈の弾丸、大きなスイカを切らずに投げつけるように。
(ま、ありていにいえば、「甘えて」るのね。。。若い頃に比べて、さすがに最近はもう、少なくなったけど……でも、興奮するほどの邂逅だと、いまだにちょっとその傾向はあるかな……(;´▽`A``)
ラッキーな事例では、
「あなたがいっているのは、こういう意味ですか?」
という反応が返ってくる。
よく切れる刃物でスパッとカットされたスイカが返ってくるようで、よろこびと、ある種の感動がある。
自分の目線では、ありとあらゆるものが重なって判然としなかった状況に、高い視点と広い視野からクッキリと補助線が引かれて、問題の所在と整理、解決の糸口が、剥き出しの状態で返ってくる。
即時返ってくることもあるし、その場ではなんだか流れてしまったけれども、その後のアドバイスやら仕事の振り方なんかに、ちょいちょい「返し」が紛れ込んでいるのを実感してうれしくなることもある。
当然、じゃれついてみて、かみついてしまった自分に後悔することのほうが多い。
「(あずな)のくせに、生意気な」という反応が返ってくることもある。
「女のくせに、生意気な」でもなく、「若造のくせに、生意気な」でもないことに、ちょっとだけ満たされたような安堵を感じつつ、でもやっぱり、わたし個人としてはつらい現実をみる。ま、少しずつ、積み上げてかないとね。
わたしにとっては「かみつき甲斐のないひと」であっても、そのことで尊敬できなくなるとかいうのでは、決して、ない。
尊敬はかわりない。
そのひとの美点と、”まるごとスイカ”を受け止めるタフさには、なんの関連も無い。
次回から、スイカは切って手渡すようにするというだけのこと。
ただ、自分でカットできる程度の悩みなんて、そもそもたいした問題ではない。
尊敬するひとにじゃれついた場合、それが自分に対する何らかのアドバイスとして機能することが多いけれど、べつに、解決にみちがつかなくても、それはそれで全然いい。
自分では説明のつかない感情のカタマリをぶつけることができて、それをただ、バシッと受け止めてもらって
「痛ってぇな!(怒)」
という反応を返してもらえる、それだけでうれしい気がする。
わたしは、登場人物同士、口汚く罵り合うフランス映画が大好きなのだけど、それはたぶん、うらやましいのだと思う。
わたしには、日常的に”まるごとスイカ”を投げ合えるような相手がいないから。
「痛ってぇな!(怒)」
という反応が返ってくる前提として、相手とわたしの間に信頼関係が構築されている必要がある。
わたしも相手の力量を認めているからそもそも投げられるのだし、わたしが頼りなかったら、相手だって投げ返せないのは当然だと思う。
わたし自身、相手が手加減なしでビンタできるくらい、タフな女にならないとなあ…(※ビンタは比喩です※)。
反応がないからドッヂボール状態になって、ストレス溜められちゃって、よそで「(あずな)は乱暴だ」とか愚痴られるのは、ちょっと哀しい。(※ドッヂボール・乱暴は比喩です※)
結局のところ、わたしが人生の伴侶に、オトコに、求めているのは、切に、求めているのは、そういう意味での”甲斐性”なのだと思う。
”甲斐性”っていっても、「受け止めたフリ」が上手くて、散々吐き出させて、それを”ジョーカー”的につかうひともいるから、、、いろいろむずいね(;´▽`A``。。。
ホント、社会は煮え湯飲ませたり飲まされたりだ。あはは。
(飲ミニケーションで仕入れた部下の愚痴やらプライベート情報やらを人事に利用する上司とかの話ね。)
でも”ふたり”(家庭の最小単位)までそれだと、なんかいろいろ、さみしいよね。
あっ、今、
「あずなと結婚したら毎日ガチバトルさせられんの~(´д`;)ウゲェ~疲れそう……ただでさえ、仕事で疲れて帰ってきてんのにさぁ……(/_< )」
って思った?! 思ったでしょ?!!(笑) そこはご安心を!!( ̄^ ̄ゞ
リアルのわたしは、日常の99%以上が(いい意味でも悪い意味でも)絹ごし豆腐以上に(!)物腰フニャフニャの女なのでご安心を(笑)
必要以上に、いつもフワフワフニャフニャ笑ってます。たいがい。
話し合いをしてても、無駄に語気を強めてギャアギャアわめきたてたり、女ながらに暴力をふるったり、感情の激しさで無理を通して道理を引っ込めたり……みたいなことは無いのでご安心を! そういう意味じゃないからね。
(まあ、そうじゃないから逆にむかつく、っていう男性もいらっしゃるかもしれないけど…)
なんかね。
若い頃は、「尊敬してる○○さんから『(あずな)は会話のし甲斐がないヤツ、話しててもつまんないヤツ』って思われたくない!!」みたいな願望が、ちょっと強かったかも。
そういう意味でも、20代の頃のわたしは、向上心のカタマリみたいな側面があったかな。。。
「素人目線でも、多少関心もって俺の話聞けるなら、それでもいいよ」っていってくれるお相手なら、ガムシャラにがんばっちゃったりとかは、もうしないかな。
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