飾りじゃないのよ○○は

「○○部」と「○○同好会」の両方が存在していること、これって、世界平和につながらない? なにげに。

どんな分野にもへヴィーユーザーとライトユーザー、両方いると思うし、ノリや目的意識が似ている同志でつるむのがどちらにとっても、いいんだろうな。棲み分けっていうか。


ちなみに、今わたしが便宜的に「○○部」っていってるのは、たとえば、全国大会を目指す運動部のようなイメージね。スポーツなり文化活動なり、それそのものを目的とする集まり。

便宜的に「○○同好会」としたほうは、仲良く楽しくがモットーの趣味サークルみたいなイメージ。もちろん、世の「○○同好会」のなかには、ストイックに○○自体を追究されている集まりだってあるはず。「うちの同好会は違う!!」と思われた方、ごめんなさいm(_ _)m

ここでは、あくまで便宜的に

 「○○部」=○○自体が目的の集まり

 「○○同好会」=○○を通じた「交流の場」

として、話を進めますです。


「○○部」に入るようなひとをステレオタイプ(極端な例)で考えてみると……

もう、○○が大好きで、技術や知識を熱心に研究してる(深掘りしていく意欲をもってる)、そういう、○○そのものへのこだわりが強いひと、になるだろうな。

有名な先達の業績とかに詳しくて、リスペクトもしてるだろうし、○○というジャンル自体の行く末、振興や次世代育成なんかにも思い及んでるかもしれない。


一方、「○○同好会」に入るようなひとというと、「○○にちょっと興味ある」レベルまで想定されるかな。

かなり詳しいベテラン会員もいるだろうけれど、ついてこれない会員に無理させたり、和を乱してまで技術向上を目指すようなノリではないだろうな。「趣味が似てるひとと、仲良くなれたらな~」みたいなひとも、ここでは寛容に迎えられそう。


では、「○○部」と「○○同好会」が「○○サークル」、みたいにひとつにまとめられていたら、どうなるか。


「○○部」系の熱いひとは、「○○同好会」的な温度感のひとに対して、「気合が足らん!!!」「やる気あんのか!!!」みたいなもどかしさを感じてしまう可能性があるよね。

逆に、ライトなノリのひとは「ウザいな~、そこまでしなくても…空気読んでよ。」「マイペースで楽しませてよ…」みたいな抑圧感を感じてしまうかもしれない。


あと、本当に○○そのものを愛してるひとって、○○が、その真価を理解しないひとによって「何かの道具」にされている状況に、嫌悪を感じてしまう、そういうことってある気がする。

達人の域になれば達観できるのかもしれないけど。。。


たとえば、「○○知ってるわたし、ちょっとイケてない?」「わたし、意外と○○なんかも知ってるんだよ~」みたいに、○○がファッションとしてアクセサリー感覚で消費されているのをみると、「貴様なんぞに、○○の何がわかるっ!!!!!」って、怒りのひとつも湧くのかな、とか。

○○が人間関係の単なる潤滑油、たんなるネタ扱いされることにも、拒否反応があるかもしれない。「○○を出会いの手段なんかに利用すんな!!! ○○ナメてんのか?!!」みたいに。


誰でもみんな最初は初心者だし、始めた直後から「一意専心○○一筋!!!」みたいな覚悟が定まってるわけじゃないだろうし、ライトユーザーに非寛容なことは、ジャンルそのものの首を絞めることにもなるんだろうけど。

そうはいっても、技術・知識の向上を目指したとき、ライトユーザーの存在が足かせになることも事実だろうし。全力疾走できないことにストレスも溜まるだろうし。


そんなこんなで、思うわけですよ。

「○○部」と「○○同好会」、どっちもある、コレ、世界平和の秘訣じゃない?!!