ブラックボックスに切り込め!

毎日、おしゃべり口調で長文ブログを投稿してると……読んでくださった方に「かなりおしゃべりな女性」って印象を(実体に反して)与えちゃってるかな……

7月14日のブログにも書いたけど、実際には、わたしはあんまり自己主張することなくて、たいてい聞き役かな…。そのほうが心地よかったりする。もちろん、質問されたらちゃんと答えるけど。


わたしは、男女問わず「自己主張が強くてサッパリしたひと」が大好きなので、たいていは、自分がヒマなときに電話掛けてきてしゃべって気が済んだら切る、みたいな相手が多かったかも。。。わたしとしても、そういうののほうが、かえって気兼ねなくて好き。話聞くの、基本的に好きだし。

それに、そういうひとってサッパリしてるから、こっちが「ごめん、ちょっと今忙しいんだけど……急ぎの話??」とかいっても、「わかった! じゃ、また今度ね!」みたいな感じでこっちの事情をちゃんと受け止めてくれるし。いざ、わたしが自己主張したときも、ちゃんと耳傾けてくれるし。


まあ、わたしの側からも、しゃべれといわれればしゃべるけど……かなりのしゃべりベタかなあ。。。

わたしの話にはオチがないらしく(おそらく、このブログの文章に輪を掛けた感じでひどいと思われる…)、ひとしきり話し終わった後に相手から「で?」といわれることもしばしば……orz


誰かと一緒にDVDとかTVとか観てて、「(あずな)、笑いすぎwww」「そんなにおもしろい?w」「何泣いてんの?www」とかよくいわれてたから、まあ、喜怒哀楽の表出はそれなりにあるのかなとは思うけど……。(ツボの位置はともかく…)

あと、イメージとしては、声が高くて、しゃべり方がわりとトロい感じ。。。

しゃべり以外も全般的にトロくて、運転免許はもってるけど、皆、命が惜しいらしく、誰もわたしの運転する車には乗りたがらない……(^_^;)(ゴールド☆ペーパー☆ライセンス)。


まあ、そんなだからこそ、あえてこの段階で問わず語りしとくのもいいかな、とは思う。

実際に付き合い出したとしたら(対面で)、こういう話をわたしから改めてする機会は、おそらく皆無だろうから。


基本的に、自分のことを周囲のひとたち(家族含む)に話したところで理解して受け入れてもらえるなんて思ってないんだよね。。。そこに対しては、期待も希望も一切もってない。これは物心ついた頃から、ずっとそう。


むしろ、自分で「参加/不参加」を選べないコミュニティ内でそんなことを話すのは、メリットよりデメリットのほうが大きいって、身にしみて理解してる。


まあそんなだから、仕事とか和が重要な場所とか、「相手に不快感を与えないことが重要」な場合は、徹底的に自分を抑え込んじゃうんだよね。出したら無駄な軋轢を招く可能性が高いって、経験上わかっているから。もはや、それが人間関係におけるデフォルト設定になってる。

価値観が大幅に違うひととは事故んないように”車間距離”を大きくとるようにすればいいし、価値観云々みたいな話は、自分の裡に抱いていたほうが日常生活としてはよっぽど円滑にまわっていく、基本的にはそういう考え方。


でも、生涯の伴侶、となれば、万一利害が対立したときのこともあるし、やっぱりコミュニケーションの素地は必須かなあ、と。


相手の価値観とか背景が把握できてないとさ、

 【こうしたから】→【こうなった】

の「」の部分がブラックボックスになっちゃうんだよね。たぶん。


」の部分に、勝手に自分の価値観あてはめちゃうとさ、

【*****(何があったかよくわからない)】→【こうなった】

ってとき、「こうなった」という現況から(自分なりの価値観で)類推して、「*****」の部分に、事実とはまったく違う事を想定しちゃったりとか。

で、深刻なコミュニケーションギャップが生まれる、と。


たとえば、

【1】太郎が花子にAを渡した。

【2】花子はAが嫌いである。

【3】太郎は花子がAが苦手だと知っていた。

【4】花子はイラついた。

【5】次郎が花子にAを渡した。

【6】次郎は花子がAが苦手だと知らなかった。善意のプレゼントだった。

【7】花子はよころんだ。

という出来事があったとして、【2】とか【3】【6】とかみたいな背景を知らないひとだと、太郎が次郎に変わったとき花子が打って変わってよろこんでるのをみて、「花子は不可解だ」とか「わがままだ」「きまぐれだ」とか「次郎のほうがイケメンだからだろ?ひとによって態度を変える女だ」とか、いろんな印象をもってしまうと思う。


こういうふうに考えていくと、コミュニケーションの深淵に立ってクラクラしてくるけれども…道のりのはるかさに若干遠い目になったりもするけれども……( = =)

でも、そこには反面、可能性もあって。


ひとたび根本的価値観を理解しあえれば、「万一こういう状況になったとき、このひとはおそらくこういう行動をとるだろう」みたいな信頼感や安心感の醸成にもつながるはずで。

「こういうことをすれば、きっとこのひとはよろこぶだろう」みたいに、相手をまったく新しい地平に連れて行ける可能性だってあるはずで。


1+1が、(「1と1」の段階にとどまらず)2にも3にもなってる事例って、理由の部分をおさえて価値観を共有しているから、応用がきいてるってことなんじゃないかな。