宗教アレルギー、集団アレルギー
※いつもおしゃべり口調でブログを書いていますが、今回は少し改まってお話しいたします。※
大前提として、最初に強調しておきたいと思います。【わたしは宗教を否定しません。】
くどいほどに強調します。【わたしは宗教を否定しません。】
そもそも、他人が大切にしているもの、信念や心の拠りどころを、否定する権利など、わたしにはこれっぽっちもありません。
その点をふまえたうえで、お聞きいただきたいと思います。
わたしは根っからの無宗教(意識的無宗教、筋金入りの無宗教)、宗教アレルギーもちです。
(社会生活上のイベントとして定着している宗教由来行事には抵抗ありません。たとえば、過去にはクリスマスを恋人と一緒に過ごしたりプレゼント交換等もしていました。ただ、パートナーが嫌がるなら今後クリスマスに何もしなくても、わたしとしてはまったくOKです。)
わたしの場合、宗教アレルギーというよりも、集団アレルギーといったほうが正確かもしれません。
おひとりで真理を追究されているような方は、拒否反応どころか、むしろ好きです。
しかし、個人レベルの探究から離れ、誰かがそれを他者に「諭し」始めた時点で、わたしの心にはじんましん状の拒否反応がサーッと拡がります。
自分には、どうにもできない反応です。
ソバアレルギーのひとに、「ソバには栄養があるんだ、血液をサラサラにしてくれるんだ、ソバ殻まくらは高温多湿の日本の気候に適しているんだ、ソバ食わないなんてけしからん!!」と、一生懸命説いたところで、どうにもなりませんよね?
仮に「ちゃんと消化して吸収すれば有益なんだろうな」と自分で思ったとしても、どうすることもできないと思います。
ですから、究極の理想をいえば、お相手も自分と同じように無宗教の方であれば、このうえなく心強いです。(あくまで理想です。)
「集団」というものが本質的に有する暴力性(たとえそれを構成する個々人に暴力の意思がなくとも)、そういった点について、認識を共有できる方であれば、さらに大きな安心感があります。
ただ、お相手が信仰をお持ちの方でも、以下のような認識を共有できるならば、人生を共にすることも可能なのではないか?と考えています。
- (前提として、まず、お相手がわたしの無宗教を許容してくださること。)
- 勧誘行為自体を一切行なわない(子ども、わたし、知人に限らず、通行人等も一切勧誘しない)。
- 第三者に教義を説かない、おしつけない。(子どものしつけの場面では、いろいろ難しいものがあると思いますが……「○○様が禁じている」ではなく、「お父さんはダメだと判断する」というふうに「”俺の”教育方針」にまで落とし込んでもらえたらと思います。そこで夫婦の意見が食い違ったら話し合いましょう。)
ちなみに、信仰をお持ちの方と共同生活(ルームシェア。性的な関係のない同性同士)をした経験はあります。
身近な、目につくところで宗教的な行為がなされていても、(勧誘・強要がなかったので)まったく問題は生じませんでした。
***余談・わたしの考え(自己紹介の延長的内容)***
「宗教」とひとくちにいっても、数学だって哲学だって広義には宗教なのだと思う。そういう意味では、わたしは“科学教”なのかもしれない。
「ああすれば、こうなる」という、地道な観察と経験の蓄積。疑い、実験し、証拠に基づいて判断すること。それ以上に強いものはないと思う。
(自分自身、文系人間であることがもどかしいところなんだけども…)
あと、わたし、ジョン・レノンの「God」という曲、大好き。歌詞も。(→歌詞)
心にビンビン響いてくる感じ。
『Acoustic』っていうCDに入ってる別テイク(デモ音源?)も、すごく好き。
本テイクの
I just believe in me
の後の
Yoko and me
が、どうしても「言っとかないとね~」的に聞こえちゃって、おちゃめだな~っていつも思う(^皿^)
ジョンのそゆとこ好き。
曲・歌詞の解釈はひとそれぞれだと思うので、違うよ~!!って思われた方、ごめんなさいm(_ _)m
ちなみに、わたしも”I don't believe in”John。
でも、ジョン大好き。
0コメント