情熱と『覚悟』
恋愛においては、情熱を傾けられるのって、やっぱり素直にうれしい。
ただ、人生の伴侶探しにおいては、それって最重要ではないかな。個人的には。
「情熱のカケラすらないってのも…」という感情もあって、とても難しい問題だけど。
最終的に大事なのってやっぱり、「覚悟」なのかな。
誤解をおそれずにいえば、わたしはある程度、”前頭葉”で選ばれたい。
冷静に、わたしの価値観と思考様式、行動様式を見極めてほしい。
結果、「コイツなら、人生の未知数xにどんなものが代入されてきても、パートナーとして一緒に闘い抜いていけるだろう」って思ってもらえるようになりたい。
わたしが生まれながらもったものに(それなりには)欲情してもらえるとうれしいけど、わたしが意志をもってやること(やってきたこと)に対しても、なんらかのメリットを感じてもらえたらうれしい。
パッション、的な情熱を注がれるのは素直に嬉しいけど、それだけなのって、人生としてはやっぱり怖い。
だって、それだけを基準にすべてのものごとを決めるひとなら、情熱を抱く対象がわたしのほかにできたとき、何を捨ててもそのひとのもとへ行くのよね?
「覚悟」があればこそ、いろんなものを乗り越えていけるんじゃないかな。カップルとしても、ひとりの人間としても。
ただ、まあ、男女問わず、「気が合う」ってあるな、、、とも、しみじみ思う。いわゆるフィーリング?
そういうのって、やっぱり実際に話したりメールしてみたりしないと判断しづらいよなあ。プロフィール文の行間からにじみ出るものに ピン ときたりすることはあるけど。それが当ってるかどうかは、確かめてみないとわかんないし。
逆に、「気が合う」が通れば理想が引っ込む、なんてケースもあるな。たぶん。ってか、絶対。
昔ね、「恋愛関係に限らず、なんだかんだいーつつ付き合い続くひとと、なにかをきっかけに一気に疎遠になってしまうひと、その違いって、何だろう?」みたいなことを、考えてみたことあるのね。
そんで、その時点での暫定結論としては、「 ふゎっ と全部がどうでもよくなってしまう一瞬」が有るか無いか、じゃないかと。
大問題にして激論交し合うほどでもない日常生活のちょっとした不平等とか、我慢ならないわけじゃないけど積極的に愛せるってわけでもない短所とか、ふたりの気持ちや真剣さのつり合わなさとか、そういう小さなストレスの堆積が一瞬、どうでもいいことに思えてしまう、そういう瞬間。(もちろん、実際どうでもよくなるわけじゃないんだけど。)
あぁもう、なんだかんだいったって自分、結局はこのひとと「仲良くしたい」んだよな…(苦笑) もぅ、降参\(^o^;)/……みたいな?
こういうのの極端な例って、赤ちゃんとか幼児の”可愛さ”(という名の兵器w)だよなあ(笑)
もちろん、ふたりの間に存在する諸問題をそれで「なかったこと」にできるわけじゃない。そういう「一瞬」の繰り返しで、問題をいつまでもうやむやにしているわけにはいかない。
だから、長期的な関係のなかでは、シリアスな話し合いやメンテナンス的な意見調整だって必要。
でもさ。
怒り未満の小さな不満がグラグラ煮立って小さな心に溢れかえってる、そういう感情の渦巻きが一瞬にして霧消する。
その「瞬間」の有無って、やっぱ大きいと思うんだ。
そういうのって、元々の相性も大きいけど、「覚悟」を基盤とした、心がけや愛着の問題でもあるんだろうな。
なんかね、そんなことをね、思った。
あ、あと。恋愛に限っていえば、そういう「 ふゎっ と全部がどうでもよくなってしまう一瞬」以外に、「共有できる未来像や理想像」も強力なポイントだよなあ、って思う。
遠距離恋愛とかもたぶんそうだよね。「未来像(計画・予定レベルの具体性を伴ったもの)」を共有できるか否か、が肝って気がする。そういうものの存在が、「さびしさ」とかを乗り越えていく原動力になると思うのね。
知り合いの遠距離恋愛話(現在は結婚なさってるカップル)とか聞いてて、そう感じた。
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