ぼっち耐性の高い女。
ひとがひととつながるときのモチベーションってなんだろう。
ひとつは、「ギヴ・アンド・テイク」だろな。これはビジネスに限ったことじゃなくて。
自分のもっていない「何か」(あびりちーとか)をもっている誰かと、もちつもたれつ。
あと、「なんかひま」的さみしさ。
vacant? 「ひとり」ということに対する危機感というか。
女性はとくに、こういう空白を埋めるような吸引力でひととつながっているケースが多い気がする。もちろん、ひとりのひとが多様な人間関係を抱えているわけだけれども。
ただ、わたしの場合、人間関係形成における、この「なんかひま」的欲求の粘着力が、ほとんど期待できないんだよね。。。
小さい頃からわりとひとりで過ごすことが多かったからか、「ひとり耐性」(ぼっち耐性?)が高すぎて、モチベ低いっていうか……
思春期の頃は「自分には重要な感覚が欠損しているのか?!」とそれなりに悩んでみたり、クラスメイトが陰口たたいているその当人と関わりをもとうとしているのをみて、「悪口いうくらいなら何で付き合うんだ?!」などと不快に思ったりしてたなぁ…(;^_^A
まあ、さすがに今はもう、そんなこといちいち悩まんけど。
じゃあ、わたしは何をモチベーションにひととつながってるんだろって省みてみると、ひとつには前述の「ギヴ・アンド・テイク」ってのがあって、あと、「自己嫌悪」なんだろうな。
自分が頭の回転鈍いから、瞬発力があって頭の切れるひとが好き。(男女問わず。あくまで理想)
自分が文系だから、理系好きの理屈フェチ、物理萌ぇ。(男女問わず。あくまで理想)
自分がまぎれもなく女であることが忌々しくて、男のひとを好きになる。(←ココ、川本真琴氏の「1/2」を想起してっ!)
わたしの胸のどこかには、そのひと(好きなひと)になりたいという願望が潜んでる、たぶん。
それがきっと、そのひとのことが好き、という感情になって表れてきてる、そんな気がする。
いとおしい気持ちを行動に変えていったら、いつか、わたしのカケラはそのひとに似た男の子になっていく……そんななりゆきを、胸のどこかにある願望がしっかり想定しているのかもしれない、、とか、そんなことをね、よく思う。
んでね、わたしは「ぼっち耐性」が高すぎる、という話に戻るんだけど。
好きなひとができれば、その彼にはもちろん会いたいんだけど、彼が忙しい場合なんかに、「ひとりで過ごすこと」それ自体はまったくもって平気。
「今、忙しいのだ」という、その状況さえわかっていれば、その間はひとりで出かけたり仕事をしたり、それなりに楽しみ見つけて過ごせる。映画でもライヴでも、行きたければひとりでどんどんいく。
そのあたりの感覚が、そうでないひとたちには理解しがたいらしく、その昔、「会えない期間が続いても、(あずな)はちっともさびしがらない。(あずな)は俺のことがあまり好きではないのか」、「別れても付き合っていてもどっちでもいいという程度なのか。ほかにオトコでもいるのではないか」などと、元彼さんにあらぬ疑念を抱かせる結果にもなった……orz
もちろん、そんなことはまったくなく、こっちからすれば「だって忙しいっていってたから…(困惑)」という感じだ。
「さびしい!さびしいッ!!。゚(T^T)゚。」と甘えないために伝わりづらかったかもしれないが、もちろん元彼さんのことは大好きだった。ましてや裏切りなんてとんでもない!! 裏切りなんて、するのもされるのもまったくもってゴメンだ。
ただ単純に、「泣いたって喚いたって、忙しいものは忙しいわけで、会えないものが会えるようになるわけじゃあるまいし。(ゴネたら会えるってんならゴネるけどさ…)」という思考様式なだけの話なんだけども。。。
まあ、「結局会えないことには変わりないけど、それなりに拗ねたりとかゴネたりとか、さびしんぼ攻撃はしてほしいんだよね」と彼(未来の)がいうなら、頑張ってゴネてみますけど、一応。(←すでに可愛くない・苦笑)
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