ガンダムSEEDの迫力
ガンダムSEED、SEED DESTINYを、観た!
一気に観た……
続きが気になって、気になって、、気になって、、、次・次・次ってどんどん観た。。。ガンガン観た。。。半ばガンダム廃人と化しつつガツガツ貪り食うように観まくった……
感想の第一声は……
気圧された Σ(゚Д゚))))
必殺仕事人の本気をみた……気がする (@д@;)
これ、まぢですごくない???
すごいよね…ガンダムSEED、SEED DESTINY。。。これはまぢやばいと思た。。。
いや、その、まぢやばいっていうのは、あの多焦点同時オートフォーカス的な武器のことじゃなくて…
(いや、もちろん、あれもみてて ウォーΣ(゚д゚;) てかなりの衝撃だったけども…)
作品として……コンテンツとして……
剛速球のストレートを どまんなかに ズバーーーーーン!!! と投げ込んでるよね?? ズバーーーーーン!!! と。
こりゃあ、あらゆる粋を集めた極上のエンターテインメントじゃないか…?! だよね?!!
これでもか!これでもか!!これでもか!!!ってほどの迫りくる球圧(?)に、なんかいろんなものがビシビシふるえまくった。。。
とにかく圧倒された……これを迫力と言わずして何とするか。。。
もう完全に、降\(゚Д゚)/参。
重厚で複雑なテーマに対して、決して奇をてらうことなく真っ向から挑んでいるし。
いろんなテーマを含んでるけど、決して箇条書きにしたような散漫さには陥らず、深く絡み合い、それぞれが高密度ですごく深いし。。。
(ガンダムシリーズフルコンプリートした後、リピしたい!)
もちろん、それはSEEDにはじまったことじゃなくて、ガンダムシリーズ全般にいえることだとは思うんだけど。。。
ただ、ある程度の規模を動かす「エンターテインメント性」と、そういうガンダムらしい「マヤカシ無しの真っ向勝負」を両立させるのって、ものすごく難易度高い気がする。投げ手に相当の力量がないとできないことだと思う。
そういうある種の「動力」を捻出するために、歯切れ良く旗振ってみせることだって、思わせぶりな表現ばらまいて伏線回収せず深そうにみせかけることだって、ちょっと斜めにずらしてセンス良さげにみせることだって、妙に達観したふうな口ぶりでいかにも深イイこと言ってそうにみせかけることだって、オリエンタル風味の独自枠で欧米ウケを狙うことだって、できたんだと思うんだけど。
(そういう手法を採らないっていうのも、わたしがガンダム全般に惹かれている一因かも。)
現実的に答えの無い問題に対して誠実に「答えが無い」と言うことは、作品として、とても勇気の要ることだと思う。
答えの無いものについて「答えが無い」と言うこと、それが作品として成立するのは(たんに成立するどころかSEED・DESTINYみたいなこんな魅せるエンターテインメントに仕上がっているのは)、まぎれもなく、あらゆる方面で技術の粋を結集しているからだと思う。
アニメに詳しい方々やガノタ有段者の方々からすれば、いろいろツッコミどころはあるのかもしないけれども……アニメに詳しいわけじゃない一般視聴者、かつ、まだガンダム初心者のわたしからみると、おおげさじゃなく非の打ち所がない素晴らしい作品だと感じた。
名作オーラ、ハンパなく感じまくった。。。
ちなみに、わたし個人の意見としては、デュランダル議長に同意してしまう感じ。
ただ、同時に、「恣意では生み出せないものを、わたしは求めているな」みたいなことを、なんか、思った。
目的や方向性を前提にした機能美、「1を2に」どころか「1を100億に」してしまえるような卓越した技術、そういうものに感動し、あこがれ、それよってもたらされる秩序・安定・平和を享受し、その機能美を味わいつくしながら生きても……
それでもなお、わたしは他方で、「0から1が生まれる瞬間」の輝きを求めてやまないのだろうな…と。
「0から1」……恣意のはたらきえない領域、これは主に「芸術家」の領域になるのかな。シロッコのいう「一握りの天才」?
でも、それだけじゃなくて……「偶然の出会い」とかまさにそうだと思うし、根本的に「有性生殖」とかもそうだろうし、同性異性関係なく、人間と人間が関わることで起こるいろんな意味での「化学変化」とかも。
常に世の中を動かしてきたのは一握りの天才… と、
一握りの天才とッ、、、
一握りの天才とッッ………
ホレタハレタだぁぁぁああああああああッ(T0T)
いろんなガンダムシリーズ観ててそんなふうに感じるし、SEED・DESTINY観てても、すごく感じた。
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