シャアの”お母さん”

わたし、男女問わず「母性的」なひとに惹かれる傾向があって。

(女性を恋愛対象としてみたことはなくて、男女云々以前に人間として惹かれるという意味。)


今、「母性的」なんて不用意に書いちゃったけど、辞書的・学術的・社会的な位置づけで「母性」を定義しようとすると、それこそ「母性とは何か」で新書が一冊書けちゃうレベルだよね…


わたしが「母性的なひとが好き」というときの「母性」は、あくまでわたしが指すところの「母性」だからなあ……「あずながいってるのは、それは”母性的”とはいわない!」ってお考えのひとも、当然いるだろうし。。。

ん~、じゃあ、とりあえず紛らわしくないように”ボ性”とでもしとくか!(笑)

あずなが感じるところの「母性」、以下、”ボ性”で!(笑)


で。

まず、”ボ性”とは……を定義すると、【我が身を挺して他者を護る性質】かな。

イメージとしては、包み込む感じ?


わたし、

 ふとわたしの身に何かが降りかかってきそうになったとき、自分の背中でわたしをかばってくれるようなひと

に、かなりぐっときてしまうんだよね。

そういうひとに、ものすごく懐いてしまう感じ。

忠誠ッ!!!(`・ω・´ゞ


過去の経験からすると”ボ性”と、現実にひとの親であること・女性であること、との間にはまったく相関関係がないように思う。


男性であろうと、お子さんがいなかろうと、”ボ性”的なひとは”ボ性”的。

女性であろうと、お子さんをお持ちであろうと、”ボ性”的でないひとは”ボ性”的でない。


家族の誰かが”ボ性”をもっていて、”ボ性”に護られながら子どもが育つ家庭もあれば、家族の構成員が誰も”ボ性”を持ち合わせていなくて、「家庭=社会の縮図」みたいな家庭もある。


まあ、ものごとには大抵、光と影、両面あるわけで。ご多分にもれず”ボ性”も、光の面と影の面をもっているのだろうけれども。


”ボ性”に護られながら育つことの利点としては、安心感という基盤をもつことで素直に自分を表現できたり、いろんなことに果敢に挑戦できたりすることじゃないかな。

ホーム(←→アウェイ)があるからこそ生まれる強さっていうか。


背水の陣のほうが、最大瞬間風速的には頑張りがきくと思うけど。

「自分を大事にする」という発想に欠けていて、背水の陣状態がデフォになってしまっていると、結局、身体が悲鳴を上げるまでアクセルを踏み続けてしまったりとかもあるだろうし。

長い目でみて、それってやっぱり「不自然なこと」なのかもしれない。


あと、”ボ性”のない、屋根のない家で育った子どもが成長して家を出て、よそさまのご家庭におじゃましてはじめて、屋根(”ボ性”)のあるあたたかい家の空気に触れたとき、

 屋根!(驚)

 屋根ッ!! この家、屋根があるッ~!!!・゜・(つД`)・゜・

 雨でも濡れないッッ!! ☆感(T-T)涙☆

みたいな反応になってしまい、かたや、”ボ性”を幼い頃から空気のように自然に受けてきた方々にとっては

 こんなあたりまえのことに対して、こんなおおげさに反応するなんて……演技か?!

 何か下心や、こちらに取り入ろうなんて魂胆があるのか??!

などと、不審に映り、それが対人関係の障壁になったりする……みたいなこともあるかもしれない。。。


「屋根」のありがたさは、”ボ性”を得られずに育ってきた人間のほうが、ある意味、身に染みてヒシヒシ実感しているのかもしれない。。。


でね、話変わるけど。

わたし去年の冬あたりから、ガンダムを観始めて。

今ちょうど、なんでもガンダムにたとえたいお年頃(笑)

(まだ観始めたばかりだから、ネタがファースト・Z付近に偏ってるんだけど…w)

で、早速、ガンダムにおける”ボ性”…


ファースト・Zを観て、アムロまわりで”ボ性”をもってるキャラクターっていうと、ベルトーチカとリュウさんだなって思った。


わたしね、ベルトーチカがカミーユに、ガンダムにはアムロが乗るべきなんだからアンタ降りなさい!みたいなこと直談判して、カミーユから「なんやこの女」みたいな反応くらってるシーン、あのシーンがめちゃ好き…。゜゚(T^T)゚ ゜。

あと、ベルトーチカが飛行機でアムロを先導するシーンも。好き。


ファーストとかさ、もう徹頭徹尾、アムロ孤独じゃない??

ホワイトベースにあんなにいっぱいひとが乗ってるのに、本当の意味でアムロを護り、アムロと共に戦ってくれるのって、ガンダム(無生物!)だけって気がした……


リュウさんは艦長氏の面倒までみないといけないからアムロのフォローばかりもしてられない感じだったし。。。

ランバ・ラルとかハモンさんとかララァとかには敵方として出会ってしまってるし。。。(/_<。)


ガンダムにペタペタ貼り付けられた時限爆弾はずすのも、ある程度アムロが目鼻つけてからだったし。。。(あの状況では他にどうしようもなかったんだろうし、最後に危険を省みず助けに来てくれただけでも仲間としては充分すぎるくらい充分な対応だったんだと思うけれども……涙)


ファーストで、艦長氏がアムロをガンダムから降ろすみたいなわけわかんないこと口走ったとき、それを聞いてしまったアムロがガンダム一機駆ってホワイトベースを降りる、あのシーン、めちゃめちゃ胸がぎゅうぅぅぅぅぅぅってなった。゜゚(T^T)゚ ゜。


Zになって、やっと、やっと!!、ベルトーチカみたいなひとが登場して……もぅ、もぅっ、、安堵の感涙ょ…(T-T)


ミライ氏は、ベルトーチカに説教とかしてたけど、こと”ボ性”においては、本質的に皆無なひとだと感じた。

自分の子どもが海に落ちても、見~て~る~だ~け~で、結局アムロに助けに行かせてるし。。。

※当方ガンダム初心者、これは初心者の私見です。ガンダムに一家言お持ちの方、「あずなはこの場面を見落としている! あずなにはこういう視点が欠けている!」「あずなにはガンダムのことが全然わかってない! ○○を観て勉強しろ!!」「否! ミライはたいへん母性愛に溢れた女性なんだ!!」とおっしゃる方、ぜひメッセージ等でご意見詳しくお聞かせください!!※


シャアまわりに関していうと……

逆襲のシャアを観た直後、正直、

 「えっ??! ララァって、シャアにとってそんなに特別な女性だったの??!(アムロにとってララァが特別な存在だっていうことは、すんなり理解できるけど…)

って感じたんだけど。


ファーストの、ララァが登場するあたりからをもう一度観直してみたら、なんか、いろいろ感慨深かった。納得。


シャアがララァに期待していたものも、わたしが飢えている”ボ性”に近いものだったんじゃないかな……

”ボ性”を求めるということは、必ずしも、「一方的に守ってもらうこと」を期待しているのではなくて。

ララァがあんなに強くあれたのも、シャア自身が”ボ性”を備えていたからなんだろうと思う。

なんかちょっと、光源氏と紫の上っぽいかも…(^-^)


自分を救い上げ、外圧から護り、育ててくれるシャアに、ララァが固く忠誠を誓う気持ちも、ものすごくしっくりくる。

すっごい、わかる気ぃするわぁ…(T-T)

(シャアは”ゾロゾロした恰好”とか言ったりしながら周囲をうまく煙に巻きつつ、ララァがのびのびと才能を生かせる環境を整えてるし、あらゆるシーンでいざとなったらシャア自身が助けに行く!という姿勢だったし… 最期は不運だったけれども……涙)


シャアとララァは、きっと、愛し”合い”うるカップルだったんだろうな、と。意欲的にも能力的にも。

一方的じゃなくて。

両者が”ボ性”をもって、与え”合う”、助け”合う”ことができるカップルっていうか。


そうなる前に(ララァがシャアの右腕、それ以上の存在へと成長する前に)亡くなってしまったのは、ほんとに哀しい。。。

切なすぎるよ……。゜゚(T^T)゚ ゜。


シャア自身、自分が求めるものを与え&受け止めるられるだけの意欲・能力適性を兼ね備えた人材、ララァのような人材を見つけることがいかにむずかしいか、ララァがいかに貴重な人材であったかを、ララァを失い、ポスト・ララァを探そうとしてみて改めて実感したのではないかな???


皮肉だけど、ララァの「意欲」面の適性を確信したのが、身を挺してシャアを護ったあの瞬間だったのかも。。。

(「能力」面での適性はすでに充分すぎるくらい見抜いていて、だからこそララァを拾って育ててたんだろうけれども。。。)

そして、その点がシャア自身にとっていかに重要なものだったのかということも。


防波堤無しの環境でもまれながら育ち、若くしてすでに、ガルマのようには人の懐にまっすぐ飛び込めなくなっている、ある意味すれているシャアにとって、ララァの最期のあの行動が、以降の人生観を揺るがすほどのインパクトを持ったとしても、少しも不思議ではないと思う。


***

2020.5.1 追記

ファーストをリピして観ているなかで、「ああ、アムロは、ガンダムという名の、彼のお父さんの“人生の一部”と、共に戦っていたんだなぁ……」と感じるようになりました。

女性のわたしには「父・息子の機微」はわかりませんが、ファーストは一面として「息子が父を越えていく物語」でもあるのかな、と思います。

ファースト、何度観てもしみじみ味わい深いです。