わがままは男の罪 それを許さないのは女の罪

ねぇねぇ……

 わ~がま~まは~(オゥオ!)♪
 男の罪~(オーオッ!)♪
 そ~れ~を許さ~ないのは ♪

 女の罪 ♪

て曲(チューリップ/虹とスニーカーの頃)、あるやん?


この歳になって、こゆ曲聴いてしみじみ思うのは、人間関係、ほんと「のりしろ」大事だよな~ってこと。


もちろんね……「平等」っていう原則は、やっぱり「担保」として、ふたりのなかでの共通ラインとして、持っとかなくちゃいけない部分だと思う。

同じことしたときに、男だから許される(男だから許されない)とか、白人だから許される(白人だから許されない)とか、そういうのは文化的人間の態度じゃない、っていう共通認識は、持っておくべきっていうか。


「べき」っていうより、それはもう、善悪というより現状の社会の「ルール」の類だと思うし。

それがなくなったら理性も文化も人間らしさもへったくれもない、なんでもアリの弱肉強食ワールドになっちゃうと思うし。。。


ただ、凹凸でのチームワークっていうか、それぞれがそれぞれの持ち味を生かしていく、助け合って相乗効果を発揮していく、そういう環境をつくってくなかでは、その「平等」の原則を柔軟に運用していく必要が、やっぱりあるんだろうな。


てんでバラバラの、それぞれの個性を持ち寄って……当然、違うもの同士なわけだから、それぞれの立場をお互いに伝え合い理解し合おうと努力して、「思いやり」や「歩み寄り」みたいな「余剰」を双方から差し出し合って、それを「のりしろ」にして、絆を育んでいくっていうか。そういうの、大事だよなあ…って。


「平等」のラインを「のりしろ」の幅でカバーして、「すまん…」「いいよ」みたいな。

「当たり前じゃないけど当たり前」みたいな。


別の面では「ごめん…」「いいよ」が逆の立場になったりして、トータルでみて”合い(こ)”になってる感じが、わたしとしては居心地いいかなあ。「尽くすのが好き」とか「尽くされるのが好き」とか、そこはお好みなんだろうけど。


凹凸でのチームワーク、その最たるものが「夫婦」「カップル」だと思うけど。


白いスニーカーを染めて染められて…染め合えるような恋、人生を分かち合うような恋、したいな。。。