おひとりさま花火オンナ・ドーン!

数年前、当時付き合っていた彼と花火大会に出かける約束をしていて、その日をとてもたのしみにしていた。

ところが当日になって彼が行けなくなってしまい、やむをえない理由ということもあって、その日の夜の予定も、わくわくしていた気持ちも、なんだかぽっかり浮いてやり場のない感じになってしまった。

それで、なんとなく、彼と一緒に見る予定だった花火をひとりで見に行ってみることにした。


花火大会にひとりで出かけるのは初めてだったけど、わたしは普段から単独行動をすることが多いので、”友達ワイワイ”やカップルの多い場所でひとりちょっと浮いてしまう感じをよく味わっていて、その日も、「ひとりだと居心地悪い思いをするかもな」と覚悟はしていた。

どうせだから、と、当時買ったばかりのごっつぃ一眼レフカメラをぶら下げていった。


その会場は以前にもその彼と来たことがあったので、周辺の店なんかもなんとなく把握していて、始まる少し前に駅について、駅前のスーパーでスクリューキャップのビールを買い、川原までひとりでぶらぶら歩いていった。

ふと気がついた。

周囲は連れのいるひとたちばかりだけど、居心地の悪さって、あまりない。


土手の一番上に新聞紙を敷いて座り、ビールを飲みながら隣を見て気がついた。

……カメラだ。


お隣に陣取られたおじさまも、おひとりさま来場。

ただし、こちらは三脚ご持参の本格派らしい。


 なんというか、これって「左薬指の指輪」みたいな??

 畏れ多い比喩だけど「印籠」みたいな??コレガメニハイラヌカー的な???


ごっつぃ一眼ぶらさげた”おひとりさま花火オンナ”を

ひとは瞬時に

「あ、このひとは写真を撮りに来てるのね」

と判断し、即時処理完了。不可解ゼロ。

…らしい。思うに。


普段から単独行動多いから慣れてたけど、あのときは明らかに体感違ったからな(;^_^A


ぶらさげたカメラひとつで、

周囲に無駄な違和感を与えることなく、

自分が居心地悪い思いをすることもなく、

誰ひとり余計なことに気をもまず、

万事つつがなく花火をたのしめる。

なんて素晴らしい!!


これに味をしめたわたしは、当時「人生にも”このカメラ的なもの”があればいいのに!」と真剣に考えたものだ。


多くの場合、自分が自分であることに理由なんてない。


しかし、いわゆる「メインストリーム」からはずれると途端に、自分が自分であることの説明責任、とでもいうような、プレッシャーが生じるように思う。


20代半ばで結婚する理由について説明を求められることはないだろうが、長く付き合っているカップルが適齢期になっても結婚しないことには、しばしば説明が求められる。

どちらのケースにも、それなりに理由はあり、それらはときに込み入っていて非常に個人的な事情を含んでおり、第三者に端的なひとことで理解してもらうことは難しいだろう。


さらに突き詰めていけば、いずれのケースにせよ、理由なんて、あってないようなものではないか。

「なぜそのひとが好きなの?」「優しいから。」

「なぜ優しいひとが好きなの?」「……。」


たとえば…

「なぜ会社勤めをしないのか」と理由を問われたひとがいたとして、「したいけど、できないんですよねー。」などと適当に流しておく処世術もあろうが、これでは親切な親戚に「では就職口を紹介してあげよう」などと無駄な気を遣わせかねない。

かといって、会社勤めをしている年長者に対して起業の魅力を滔々と述べ立てるのも角が立つ。


こんなとき、”コレ”さえあれば……

無駄に周囲の和を乱すことなく

本質的に理由のないことを問われ否定され続けて変に意固地になることもなく

誰ひとり余計なことに気をもまず

万事つつがなく、人生という”花火”をたのしめる。

――そんな、

”首からぶら下げた一眼レフカメラ”みたいなものが、

人生にもあったらいいのに!!


…んなあほみたいなことを

かなり真剣に考えていた頃を、ちょっと思い出した。


ちなみに…

三脚なしで手持ち撮影した花火の写真は無残にブレブレヾ(;´▽`A``

ごっつぃ一眼は、完全に見かけ倒しでしたとさ。