セオリーのないカタルシス。

きっかけはなんだったか忘れてしまったのだけど、ある日突然、そっか と解せたことがある。(←頭の左斜め上45度付近に電球が点灯するイメージよ。)


いわゆる、「泣ける」モノ。

あのジャンル(といっていいのかわからないが)は、おそらく、リズムなのだ。


ストーリーであるとか、セリフの意味であるとか、その内容が何がしかのものを伝えようとしていると期待して、それを汲み取ろうという姿勢で鑑賞していると、おそらくその魅力は判らないのだ。きっと。


あれは、リズムなのだ。


膝蓋腱反射のように、えづきのように、あるいはもっと後天的に、文化的に積み重ねられた反射的反応。

その「ツボ」をセオリー通りに突く。


鬱屈したものがあれば、それで、圧が抜けていく。

胃に何かが溜まっていれば、出る。

カタルシス。


涙という具体的な象(かたち)をとって、出る。

カタルシス。


ただ、心がすれてくると、ツラの皮同様に心の皮も厚くなってくる。

構えてしまう。透かし見てしまう。それで勝手に醒めてしまう。

ノリたい。でもノレない。体温が上がらない。


そこに切り込んでくる刃は、外科医のメスのように、それなりに鋭いもので、かつ、切り込む角度なんかもそれなりに。


それでもこちらに圧がかかっていなければ、刃は食い込んでこない。

こっちがぱつぱつに熟れてきていると、刺さる。ぷちゅっ となる。

気持ちいい。


では、意味を負った言葉なら。

言葉なら……


自分の置かれた状態を整理できずただただ泣き叫ぶ幼児に、腰をかがめて、寄り添うような。

「○○なんだね?(僕もだよ。)」


すれてがさがさにささくれた、熟れきったライチのような部分に、患部にメスを入れるように、確かな力で挿入されてくるのは、たぶん、

(僕もだよ。)

の部分をもった言葉。