わかってほしい…どこまで?
「わかってほしい」ってとき、どこまで求めてるかなあ。
たとえば、男と女だと、身体のつくりもまったく違うわけで。
共感っていう、そのラインは越えなくてもいいみたいな先入観っていうか、安心感もあったりするわけだけれども。
だって、男にはそもそも子宮なんてないし、わたしにも**ないし。
ただ、けっして、わかってもらわなくて結構、っていうわけじゃなくて、伝えて、伝えた、ということをうけとめてもらえて、あわよくば、わたしじゃないものを、わたしでは想像だに及ばなかったようなこと、たとえ100%共感してもらえるひと(女性とか)であっても出せない反応、を返してもらえたら最高だな、みたいな。
なんだろう、わたしだったら……
たとえば、自分が定期的に抱えてる重さみたいなものを、ダイレクトに伝えたいというよりも(いずれにせよ理論値だと思うけど)、恥ずかしさの抵抗を軽い負荷的に感じながら自分ひらいて(話して)、吐いちゃった後みたいに、ちょっと心地良いような催眠系の疲労感にぼぅっとなりながら、相手の熱い手でおなか温めてもらいたい、かなあ。
まあ、そんなのは理想にすぎなくて、ただ、うけとめてもらえるってだけで、それだけでもう、すごく心強いかな。
でも、輪郭としての知識もなければ、うけとめようにも心に収納場所が無いです、みたいなことになってしまうのかな、とか。
程度の問題かな。閾値の問題かな。
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