鎖と帰巣

信用って、”鎖”だと思う。

信頼は、”帰巣”だと思う。

(あくまで持論。)


「信用」っていうとき、わたしの頭のなかにひろがるイメージってね、相手本人とか相手の基盤(足元)とか大事にしてるもの(人質)とか、そういうものをね、クリスマスの飾りつけにする、点灯する発光ダイオード?みたいなやつ?ほら、コード☆ダイオード☆コード☆ダイオード☆コードって、数珠繋ぎになってるみたいなやつ?、あのダイオードの部分が破壊力を持ってる感じの、そういうネットワーク型の兵器?、でも見た目はクリスマスの飾り付けみたいににこやかで平和的で美しくてほほえましくて……みたいな、ともかくそういう長いコードをね、自家製チャーシューつくるときみたいに、タコ糸みたいに相手に巻き付けてる、みたいな、そういう図なのよ。頭のなかに想起されてるイメージね。


で、そういう自家製チャーシュー下ごしらえ、みたいなのって、一対一ではできないわけじゃん?

「信用」してるのは、目の前の、信頼し合うべき相手、ではなくて、協力して相手に━━☆━━☆━━☆━━←こんなんを巻き付ける共同作業をする、ネットワーク(人脈?)のほうっていう、このパラドクス?


「相手を、鎖で、いかにして自分の元に繋ぎとめるか」、そればかりに拘泥して、肝心の相手は置き去り、相手が「帰りたい」と思うような”巣”づくりの部分がおざなりにされている……そういう環境に、アレルギーに近い過剰な拒否反応を示しすぎてきたのかな。わたしは。これまで。

子ども時代から、長い時間かけて必死で抜け出してきた環境に再び引きずり戻されてしまうような、わたしのなかにある、ものすごく根の深い恐怖心のようなものが刺激されるのかもしれない。


でも、眉間にしわ寄せてるばかりではなくて。

 「鎖なんかでつながなくても、わたしはちゃんと毎日あなたのもとに帰ってくるよ。今日も、明日も、あさっても……」

って、そんなふうに、パートナーに無意識に感じさせるような、そんな”もわもわ”(疎密の)を、醸し出す(!)のも、大事なんだよね。。。きっと。安心”感”っていうの?

それが、大事なんだよね。きっと。


そう。自分の側も、パートナーにとって完全に安心できるアジトのような存在の女、社会で闘い抜いた一日の終わりに、「俺にとっての絶対の味方がいる場所、あずながいる家に帰ってきた」って、ほっ としてもらえるような存在の女になりたいなあ。