値踏みと信頼

「ひとを値踏みする」なんていうと、まるで、ヒトデナシか何かのように聞こえるけれど。


でも、大事だよね。値踏みするって。

値踏みって、信頼関係を築くうえでの基礎だと思う。


踏み込んで言っちゃうと、値踏みがないところに信頼関係は築き得ないんじゃないかな?って思う。


たとえばさ、5歳の子どもに「1週間後までに、10万円稼いでこい。できるよな? お前のこと、信じてるからな!」っていったって、それはどだい無理な話だよね。

極論に聞こえるかもしれないけど、本質的にはそれと同じようなことが平気でなされてる場面、結構ある気がする。現実社会で。


今年度入社の新人の子に、上司側が作業量を見積もらず、「これ、明日までに!」って仕事のふり方しておいて、いざ新人君が期限内にあげられなかったとき、「仕事の期限が守れない、責任感のない子」とか「残業? 仕事がトロい子」とかレッテル貼ってたら、その上司と部下の間に、信頼関係なんて生まれないよね。


もちろん、受ける側が「部長! 明日までになんて、無理です!」って判断して、そもそも約束しないでおくべき、という見方もあると思うけど。

それは、「この子なら、ある程度正確な業務量の見積もりができて、無理なときは無理ってちゃんと事前に申し出ることができるだろうな」っていう見立て、まずそこの信頼関係ができてて、の話じゃない?

部下のタスク管理能力すら把握せずに無茶ぶりするのは、無責任(無能?)としか言いようがないと思う。


約束を課す側に、「このひとなら、このくらいの約束は守れるはず」っていう算段(それは相手を値踏みしたうえで、はじめてできること)があって、合意をとって、課された側も、きちんとそれを守る。

小さな約束をし、それを守る(期待に応える)。

約束のレベルを、無理なく、徐々に、レベルアップしていく。


そういう”約束・守る・約束・果たす”の地道な積み重ねで、信頼関係って構築・強化されていく気がする。なんとなく。


その点、「信用」は実体がなくて、時価って感じがする。

「お金」って「信用」のカタマリみたいなものだと思うんだけど(コインはともかく、紙幣は紙だよね…)、外国為替レートが猫の目のように日々変動するのも、その証左だと思う。