結婚筋クリート

夢中になるとつい忘れてしまいがちなんだけど、愛と相性って、無関係なものだよね。本質的に。


愛してなくても、愛せなくなっても、相性が良いものは厳然として相性が良い。

愛していても、愛せるようになっても、相性が良くないものは厳然として相性が良くない。


もちろん、愛し合ってて、かつ、相性が良い、というラッキーなケースも多分にあるとは思うけれど。

それから、相性が良ければ愛しやすい、愛が安定しやすい、という傾向は多少、あるかもしれない。相性の良さだけから出発して、時間の経過と共に愛着がわくとか。

そう考えると、「無関係」と断じてしまうのは少々乱暴すぎるかな。


でも、相性が最悪でも愛してしまうときは愛してしまうし、相性が良ければ愛無しでも関係は継続するし、「相関関係がある」といい切れるほどの関連もない気がする。


で、ふと思ったのが、

 相性の良くない人間同士が、愛を絆にして関係を継続することは、はたして可能なのだろうか?

ということ。


お互いが「これからもぜひ、このひとと関わっていきたい」と思えるような状態で。(一方が一方を喰いものに、とか、ふたりで破滅街道…etcとかじゃなくて。)


ここでいう「関係を継続」というのは、性的な関係、という意味ではなくて。

もちろん、そこにはセックスだって含まれ”うる”けれども。


「愛を絆にして」、というのは、愛以外の、たとえば、ギブアンドテイクの利害関係等を必要とせずに、という意味。

契約とか取引(明文化されていないものも含め)が成立するなら、相性なんか良くなくても、大抵のことは乗り越えられるだろうし。「子はかすがい」とかも、ある意味そうなんだろうし。


じゃあ、手始めに、どういうケースが考えられるだろう、と挙げていくと…

そもそも相性も良くないのに一緒にいたいなどと考える理由としては

  • 「脚がめちゃくちゃ好き」とか、そのひとの一部分に極度に魅力を感じる場合。偏愛。独占欲。
  • 「ユニークな時間の共有」。家族愛や同族愛。
  • 人生のある期間、濃密な時間を、是も非もなく共有せざるをえなかった同士。(同志ではない。)
  • 「壮絶な体験・リスクの共有、その記憶」。恩愛(?)的執着? 相手の人生における唯一無二の存在であること。

……etc


で、上記のような愛が、相性の悪さを乗り越えて良好な関係を築く、そのための条件として…


  • 「関係の継続」を希望しているのが一方のみでないこと。双方が関係自体に明るい展望を持ち、その継続に意欲的であること。
  • 着地点(双方のワガママのおとしどころ)についての同意。
  • 距離感の調整と合意。
  • ふたりはこうまでも違うのだ、という前提の共有。
  • そんなふたりが関係を継続するという困難さの共通認識。自分と違うものを受け入れ、ときにおもしろがる姿勢。(少なくとも根本否定しない態度。不同意でも「”わたしは”嫌い」「わたしにはよくわからない」におさめきれる。)

……等々が考えられるかな。。。


もっとあるだろうけど、ぱっと思いつく限りだと。(「他にも、こういう条件必要じゃない?」みたいなお考えお持ちの方、いらっしゃったら、ぜひ聞かせてください!)


まあ、いずれにしても、かなり難易度高そう……「愛onlyで、相性は良くない関係」を良好に保つって。。。

相性が良ければ、全部「なんとなく」で意思疎通できたり、特段意識せず、ちょっとした議論で乗り越えられたりすることなんだろうけど。


離婚理由とかでよく「価値観の不一致」って聞くけど(表向きの仮の理由なんかもしれんけど…)、「価値観の一致」も広義にいえば相性の良さだと思う。

相性=価値観、と完全イコールではないにせよ、少なくとも、愛よりは相性に近い場所にあると思う。


前に(10月13日のブログで)、「相性の良さは鉄筋、愛はコンクリート」みたいな、ロマンの無いたとえ話をしたんだけど……。

相性の良さを”芯”に、愛というコンクリートで補強していくような、そんな絆の築き方が理想かな。わたしにとっては。(どんな絆の築き方が理想か、そこに一家言お持ちの方いらっしゃいましたら、ぜひ聞かせてください!)


もちろん、鉄筋無しの、愛だけを積み上げたような絆、レンガ造りの建物のような関係も、アリだとは思う。

万事が余裕をもってまわっていく、静かな水面のように穏やかな人生ならば……。当然、そんな人生が一番いいのだけど。

それでも、望むと望まざるにかかわらず、”地震”がやってきてしまうことも、やはりあるわけで。。。


20代後半で、人生の激震を経験してからかな……「愛の(絆の)タフさ」みたいなことを、ものすごく、真剣に考えるようになったかも。

コツコツ、ほんとうにコツコツと積み重ねてきたものが、目の前で一気に瓦解するような……そんな瞬間には、残りの人生、絶対に遭遇したくないし、ふたりの関係の「前提」となっている、さまざまな好条件が揺らいだときに瓦解してしまうような絆なら、もう、最初からいらないとも思うんだよね。(人生の伴侶との絆、の話ね。)


激震を体験してないひとに、この切迫感、ふたりの関係に「鉄筋」をもつことの重要性(必要性)を肌感覚で理解してもらうのは、なかなか難しいところではあるのだけど……。


出会いの最初期段階で、とるもとりあえず、互いの価値観について話しましょう、わたしの価値観をさらけ出します、あなたの価値観をむき出しにしてくださいって、「おいおい、いきなりなんだい?!(苦笑)」「いったい、何をそんなに必死に、神経質になってるの?(笑)」って思われてしまうのも当然だって、自分でも理解してる。


そこはもう、根気強く、いろんなアプローチから説明を試みていくしかないんだと思う。コンクリートの打ち込みと並行しながら。それこそ、橋を架けるように。