浮気「しない」の?、「できない」の??

大きなことを成し遂げるひとはゆがんだところが多い、的な言説をたまに見るが、個人的には、ちょっと違うんじゃないかな、と思ったりしている。


大きなことを成し遂げるひとというのは、欠点に比して余りある魅力や長所をもっており、いわば、欠点をさらけだしたところでおつりがくるから、さらけ出せている。

そういうことなんじゃないだろうか。


ふつうのひとが、同じように自分の欠点をさらけ出せば、あっというまに干されて食えなくなる。

欠点をさらけ出しても、「結果」によって充分生存の見通しが立つ。

 なんだかいけ好かないが、仕事のクオリティは高い。

 立ち居振る舞いは鼻につくが、しっかり数字をとってくる。

そういう担保が、常人にははずせない命綱のタガをはずすのではないか。

SNSと2chの"空気"が違うのは、その証左ではないだろうか。

「層」の違いとは、どう考えても、思えない。


浮気とか、女をはべらすとか、それが大事を成し遂げる人物の「影」であるかのようにいわれていることもあるが、それって、「できるなら」「可能なら」多くのひとがやることなのではないだろうか。

長年の屈辱と自己認識から無意識レベルであきらめていて、想像すらつかないかもしれないが。

実際にその場に立ったら、どうだろう。


たいていのひとには浮気の機会に恵まれるような魅力や美貌や財力がなく、女房にも、「浮気すれば離婚だ!」といわれかねない。

そこについて、女房も、「浮気を認めてでも繋ぎとめておきたい」と思い、「2号でも3号でもあなたの傍にいたい」という女が多数いれば、また違った様相を呈するのではないか。


そのひとが実質的に浮気できるかできないか、それは本当に正直なところ、どっちでもいいのだが、浮気の機会に恵まれても(罠にハメられても)裏切らない、万一酔った勢いでヤッてしまっても、朝、目が覚めた段階でホテルからわたしに自己申告の電話を入れてくれる、そんな男性はどこかにいないものだろうか。

やっぱ、理論値かなあ。


仮に、そんな男性がいるとして、そんな男性に「あずなは信頼できる人生のパートナー」って心から思ってもらえるためには、どうしたらいいんだろう。

顔から生まれなおさないと無理なのかなあ。

どのツラさげていってんだ、ってね・苦笑。


アラサーにもなって、んな「夢」みたいなことばっかいってっから、わたしはひとりなのかなあ。


でもさ、”ひとりじゃない”だけのふたりなら、実質ひとりのほうが、よっぽどいいのさ。

つよがりでも、なんでもなくてね。

負け犬のわたしがいっちゃうと、まさしく”負け犬の遠吠え”にしかならないんだけどさ。