やせっぽちツーテンポ遅れチャンの視界。

旧(?)体育の日だね(^-^)

わたしね、、、

壊滅的に運動神経が鈍い…ょ……orz


体育の成績はほぼ常に「1」(真面目にやっても)、まれに、”見学”が多くて出席数の足りない子がいると相対的に「2」になる…こともあった、、、カナ?……という運動神経レベル。。。


別に、運動は嫌いってわけじゃないんだけど。。。なんていうか、運動は好きだけど、スポーツは苦手っていうか。

ただ走り続けるとか、ただ泳ぎ続けるとか、ただ跳び続けるとか、そういうのは普通に好き。持久力は普通にある。

だけど、”速く”走るとか、”速く”泳ぐとか、ひっかからずに二重跳びを続けるとか、そういうの、全然ダメ……からきしダメ……(/_<。)


瞬発力とか皆無に近いので、チームプレーの球技とか、もう、致命的に苦手。倒立前転とか、もう、逆立ちしてもできない…もとい、逆立ちができない……(;^_^A


そんなわたしにとって、運動会は決して楽しいものではなかったのだけど。。。

だからといって、運動会に特別嫌な思い出がある、というわけでもなくて。

それはひとえに、周囲の子たちがオトナだったおかげなんだろうな。今振り返ってみると、そう思うよ。


「あずなちゃんは出来ない」という前提で、普段の体育の授業やら鬼ごっこやらでも、周囲の子たちに何くれとかばってもらってたし、運動会ではリレーの順番とかも考慮してもらってたな。ナチュラルに。

普段から逆上がりのコツなどを熱心に教えてくれたりする優しい子たちもいたよ(^-^)


イイオトナ(30過ぎ)になってしまった現在のわたしなんかより、昭和の、地方都市の、幼児・小学生たちのほうがよっぽどオトナだったな……と、未だ苦笑交じりに思い出す場面も多い。

もっとも、平成の、都会の、”現役・若い子”たちの姿勢にも学ばされることが多くて、よく自省させられていたのだけど…


衆目のなか、一人のたのたと遅れてゴールすることには幼い頃からすでに慣れてしまっていたのだけれど。それでも、赤組だの白組だの、対抗リレーだのでチームに迷惑をかけるというのは、なかなか慣れないもので。

これまでの(中途半端な長さの)自分の職業人生を振り返ってみると、要するに、「”チームプレイ”以外の舞台、”決められたことを決められたとおりに素早く遂行する”以外の舞台に、いかにして活路を見出すか」という、試行錯誤の歴史だったような気がする。


わたしの実感からいうと、”弱い”ということは、やはりしみじみとつらいことで。

周囲のひとたち、環境や条件にどれだけ恵まれていたにせよ、それはやはり、つらいことに他ならなくて。(あくまで「個人的な実感」。)

「あの(子どもの)頃に戻るくらいなら…」という切実な思いが、さまざまな場面で、自分を支えてきた部分は多分にしてあるのだけれど…


「強くなりたい」と、ただそれだけを願って頑張ってきた部分もあるのだけど…

ここへきて(30を過ぎてみて)、「ひとは、”強さ”と引き換えになにを失うのかな…」みたいなことに思い及ぶ場面も、多々あったりする。